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韓国は良く日本人のことを倭寇、倭寇と言うが、倭寇はかつて日本海を拠点とした日本の海賊であり、朝鮮半島船や中国船が襲われたことで日本人は野蛮で狂暴だという意味として、差別的に使われている。
土着倭寇とはその時代に朝鮮半島に流れ着いた倭寇が住み着き、その子孫たちという意味で親日の韓国人を蔑む意味で使われる。
それでは何故今でも倭寇が語り継がれているのか。それはあまりにも強かったからだ。
倭寇とは海を熟知した集団だった。日本は島国であり海洋国家であることは大陸の国々と最も違う点だ。日本は古来から海から得られる食材を糧とし漁業を通じて海を熟知していた。海流、気象、気候、風、湿度などだ。
大陸諸国は大陸に視線が行く。敵は大陸の中に在り、中韓では西方、北方の敵の防衛に主眼が置かれる。そして征服すべきも大陸の敵だ。
海を越えて簡単に攻め込むことはできないのだから、海は自分の国を守ってくれているエリアであり、殆ど歴史上注力しなかった結果、中国も朝鮮半島も海を知らない。
大陸の東方にどのような島があり、どのような海であるかを知らないのだから、竹島の認識や尖閣諸島の認識について日本より多くの歴史的事実を提示することはできないのだ。
日本海軍が何故強かったかと言えばそのような地政学的な海洋国家としての歴史上の特質にある。
バルチック艦隊が何故沈んだのか、元寇が何故海の底に消えたのかについてだ。日本海を東海と呼べと国際社会に訴えたとしても、彼らは日本海について一体何を知っているのか。竹島の場所すら朝鮮半島の歴史文献では確認されないのだ。
韓国は日本海にある島を殆ど把握していませんでした。中国は台湾を化外の地と呼び、歴史上殆ど興味を持っていませんでした。
竹島領有権 日韓共同宣言を結ぶもこれも事実上の破棄状態となる 約束を破り捨てる国竹島周辺海域を暫定水域と設定し、引き続きお互いの漁業は行えるものとするが、漁業種類別の漁船最高隻数決定を含む適切な漁業管理を行う、相手国EEZ内での操業を許可制とし、漁獲割当量の規定を設け制限する、取り締まり権は沿岸国が有する。
ラスク書簡が送られ竹島を日本領としたサンフランシスコ平和条約発効~講和会議に参加できなかった韓国竹島領有権その他韓国の要求を退けたラスク書簡。ラスク国務次官補は、書簡を送り「合衆国政府は、遺憾ながら韓国の修正の提案に賛同することができません。」と伝えた
マッカーサーラインと竹島 暫定的漁業境界線であり国境ではないことを韓国は知らない日本が終戦後の漁船操業許可区域を示した海図とラインで竹島が韓国側に入っていることを、韓国側が日本が竹島を韓国領土だと認めていた証拠だという韓国記事があった。
韓国が竹島と主張する于山島は幻の島。于山島の存在は未だ確認されていない。韓国が主張する于山島=竹島は未だどこにあるかが不明な島だ。根拠としている文献は鬱陵島の西側に記され、古地図にも鬱陵島の西側、文在寅がスペインで見たダンビルの古地図も于山島は西側に描かれている。
ラスク書簡を韓国はいつ読むのか独島、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、我々の情報によれば、日常的には人の居住しないこの岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。
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韓国の于山島は未だどこにあるかが不明な島だ。韓国は于山島=竹島だと主張しているが、その根拠としている文献は鬱陵島の西側に記され、古地図にも鬱陵島の西側、文在寅大統領がスペインで見たダンビルの古地図も于山島は西側に描かれている。
海は広く蜃気楼が発生したり船員の疲労などもあって幻の島が伝聞による情報として伝わることが在る。
日本での例では、文献に書かれている太平洋小笠原諸島東の中ノ鳥島は現存しないことが確認されており、鹿児島沖のスズメ北小島も現在確認できない状況となっている。
おそらく韓国は伝聞による島を文献に書き、地図に描き、マッカーサーラインが引かれた海図を見て竹島を于山島にあてはめたことが推測される。
当たり前の話だが竹島は鬱陵島の東側にある。韓国側が歴史的な根拠とする文献や古地図を見ても于山島が竹島ではないことは明らかです。
もう一つの間違えはマッカーサーラインは正式な国境が定まるまでの間の暫定的に区画された漁業区域を示したものである。
日本と朝鮮半島はある日突然別の国になった訳だから、次の日からこれまでのようにどこで魚を捕っても良いという訳には行かない。
李承晩はマッカーサーラインを国境だと勘違いしたのか、それとも国境だと国民に知らせてしまったのか分からないが、マッカーサーラインは国境ではなく、サンフランシスコ平和条約により確定したものが正式な国境となる。
国境が確定しマッカーサーラインが廃止される直前に、韓国は慌てて同線上に李承晩ラインを設定した。その後、于山島=竹島という構図を持ち込み国民に賛同を得ようとしたと思われる。
日韓国交回復後に李承晩ラインは廃止されましたが、今でも竹島は韓国領だと訴えています。
サンフランシスコ講和会議への参加を韓国政府は何度も要求したが却下されている。その要求の中には竹島、そして波浪島が韓国領土だと主張されている。
竹島とされる于山島は幻の島であり、波浪島はその時点でアメリカ政府からその島は存在しないと通達を受けている。
朝鮮王朝は正確な海図や地図すらも描ける力が無く、日本海については殆ど情報が無い状態でした。
竹島領有権 日韓共同宣言を結ぶもこれも事実上の破棄状態となる 約束を破り捨てる国竹島周辺海域を暫定水域と設定し、引き続きお互いの漁業は行えるものとするが、漁業種類別の漁船最高隻数決定を含む適切な漁業管理を行う、相手国EEZ内での操業を許可制とし、漁獲割当量の規定を設け制限する、取り締まり権は沿岸国が有する。
マッカーサーラインと竹島 暫定的漁業境界線であり国境ではないことを韓国は知らない日本が終戦後の漁船操業許可区域を示した海図とラインで竹島が韓国側に入っていることを、韓国側が日本が竹島を韓国領土だと認めていた証拠だという韓国記事があった。
ラスク書簡が送られ竹島を日本領としたサンフランシスコ平和条約発効~講和会議に参加できなかった韓国竹島領有権その他韓国の要求を退けたラスク書簡。ラスク国務次官補は、書簡を送り「合衆国政府は、遺憾ながら韓国の修正の提案に賛同することができません。」と伝えた
ラスク書簡を韓国はいつ読むのか独島、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、我々の情報によれば、日常的には人の居住しないこの岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。
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『三国史記』における于山国
「512年6月に于山国が服属し毎年土地の産物を貢いだ。于山国は溟州のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島という」
『太宗実録』の于山島
按撫使の金麟雨が于山島から還ったとき、大きな竹や水牛皮、芋などを持ち帰り、3人の住民を連れて来た。そして、その島には15戸の家があり男女併せて86人の住民がいる。
鬱陵島であることが推測
『高麗史』の于山島
鬱陵島は県のちょうど東の海にある。新羅のとき于山国と称した。~~于山・武陵この二島は互いに距離は遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。
『世宗実録』の于山島
それまで「鬱陵」「武陵」「羽陵」などと呼んでいた島を今度は「茂陵」としている。「于山茂陵等」として、これまでの経緯から鬱陵島を指していると考えられる。
『八道総図』の于山島
八道総図では干山島は鬱陵島の西側に描かれている
『新増東国輿地勝覧』の于山島
于山島と鬱陵島を併記し、于山島を鬱稜島の西に描いている。
『西渓雑録』の于山島
于山島は高さが低く、天気が極めて良くなければ、また最も高い頂に登らなければ、見ることができない。二島はここからそう遠くはなく、一度風に乗れば到着することができるだろうという。
『東国輿地志』の于山島
漁夫安龍福は于山島を日本人の呼ぶ松島だと言っている。彼は二度日本に来た記録があるが、彼は鬱陵島は何度も訪れているが、『朝鮮八道古今総覧図』に描かれている架空の大きな島の于山島が見当たらず、日本人の呼ぶ松島をこの于山島だと信じていたようである。
『欝陵島図形』の于山島
于山島を描いた古地図は多数発見されており、どの地図にも于山島は鬱陵島の近傍に描かれ、「海長竹田 所謂于山島」と記されている。海長竹は竹の種類で、田のように広く自生していることを示していると考えられている。鬱陵島の東近傍には、実際に「竹嶼」という古地図と同様に小島があって、多くの竹が自生しているため、この頃からこの島を于山島と呼んでいたと考えられる。
『備辺司謄録』の于山島
鬱陵島の西に于山島がありとしている。
この他にも于山島を竹島だとする韓国政府の主張には相当無理があり、竹島はそもそも欝陵島の西側ではない。古地図にも欝陵島の西側に于山島が記されている。欝陵島を2島から成る島と思っていたのか、于山島は実際にどこにあるのかはわからない。欝陵島の真東にある竹嶼島を于山島と呼んでみたり、様々な于山島が存在する。
これを持って竹島を文献に書いてある于山島だと主張するのは無理がある。
ラスク書簡が送られ竹島を日本領としたサンフランシスコ平和条約発効~講和会議に参加できなかった韓国竹島領有権その他韓国の要求を退けたラスク書簡。ラスク国務次官補は、書簡を送り「合衆国政府は、遺憾ながら韓国の修正の提案に賛同することができません。」と伝えた
ラスク書簡を韓国はいつ読むのか独島、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、我々の情報によれば、日常的には人の居住しないこの岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。
韓国が竹島と主張する于山島は幻の島。于山島の存在は未だ確認されていない。韓国が主張する于山島=竹島は未だどこにあるかが不明な島だ。根拠としている文献は鬱陵島の西側に記され、古地図にも鬱陵島の西側、文在寅がスペインで見たダンビルの古地図も于山島は西側に描かれている。
マッカーサーラインと竹島 暫定的漁業境界線であり国境ではないことを韓国は知らない日本が終戦後の漁船操業許可区域を示した海図とラインで竹島が韓国側に入っていることを、韓国側が日本が竹島を韓国領土だと認めていた証拠だという韓国記事があった。
竹島領有権 日韓共同宣言を結ぶもこれも事実上の破棄状態となる 約束を破り捨てる国竹島周辺海域を暫定水域と設定し、引き続きお互いの漁業は行えるものとするが、漁業種類別の漁船最高隻数決定を含む適切な漁業管理を行う、相手国EEZ内での操業を許可制とし、漁獲割当量の規定を設け制限する、取り締まり権は沿岸国が有する。
Photo by Yang You Chan (licensed under CC0 1.0)
[ラスク書簡]
1951年8月10日
梁裕燦駐米韓国大使閣下
独島、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、我々の情報によれば、日常的には人の居住しないこの岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。
この島について、韓国によりこれまで領土主張されたことがあるとは思われません。「パラン島」が本条約で日本により放棄される諸島に含まれるべきという韓国政府の要求は取り下げられたものと理解しています。(パラン島は韓国政府が韓国領と主張したがその島は存在しなかった。)
<<省略>>
(韓国人が)日本国民の地位を有していた事実からすれば、戦争の結果としてその者たちの財産への損害補償を得るものとすることは妥当とは思われません。
[サンフランシスコ平和条約]
1951年9月8日
朝鮮の独立を承認。済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権の放棄する。
米国側は韓国の要求をラスク書簡によって完全に退けています。その後サンフランシスコ平和条約によって日本の国境線が確定しました。そこに竹島を放棄するとは書かれていません。
竹島領有権 日韓共同宣言を結ぶもこれも事実上の破棄状態となる 約束を破り捨てる国竹島周辺海域を暫定水域と設定し、引き続きお互いの漁業は行えるものとするが、漁業種類別の漁船最高隻数決定を含む適切な漁業管理を行う、相手国EEZ内での操業を許可制とし、漁獲割当量の規定を設け制限する、取り締まり権は沿岸国が有する。
マッカーサーラインと竹島 暫定的漁業境界線であり国境ではないことを韓国は知らない日本が終戦後の漁船操業許可区域を示した海図とラインで竹島が韓国側に入っていることを、韓国側が日本が竹島を韓国領土だと認めていた証拠だという韓国記事があった。
ラスク書簡が送られ竹島を日本領としたサンフランシスコ平和条約発効~講和会議に参加できなかった韓国竹島領有権その他韓国の要求を退けたラスク書簡。ラスク国務次官補は、書簡を送り「合衆国政府は、遺憾ながら韓国の修正の提案に賛同することができません。」と伝えた
韓国が竹島と主張する于山島は幻の島。于山島の存在は未だ確認されていない。韓国が主張する于山島=竹島は未だどこにあるかが不明な島だ。根拠としている文献は鬱陵島の西側に記され、古地図にも鬱陵島の西側、文在寅がスペインで見たダンビルの古地図も于山島は西側に描かれている。
「サンフランシスコ平和条約」の前で、米国に加えて英国とオーストラリアも竹島を日本領と認識していたことが両国の公文書などで明らかになった。
公文書は英国が竹島を日本領とする米国案に同意したことをオランダ代表との会合で示した公文書(1951年5月)や、オーストラリア外務省が釜山駐在の外交官に宛てた電報(1951年7月)など。
韓国は国際法上竹島は韓国領だと主張しているが、米国からラスク書簡が公開されると一転して国際的に認められたわけではなく、米国の見解だと言い始めた。その中で英国とオーストラリアの公文書が公開されるということだ。
そもそも整理しなければいけないのは、サンフランシスコ講和会議では52ヵ国参加のうち49ヵ国が署名を行っている。この条約には日本の領土決定は勿論含まれる。
今回の公文書公開以前に既に国際的な決着が付いているのだ。国際法上で主張するなら国際司法裁判所で争おうと日本が何度誘ってもこの件について韓国政府は全く応じようとしない。あれだけ国際機関が大好きな国にも関わらずだ。
アメリカもオーストラリアも英国も国際的なものではなく、サンフランシスコ講和会議の署名国も国際的なものでは無いとすれば、韓国が言う国際とはどこを指すのだろうか。先ずはそこから明らかにするべきだろう。
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ラスク書簡が送られ竹島を日本領としたサンフランシスコ平和条約発効~講和会議に参加できなかった韓国竹島領有権その他韓国の要求を退けたラスク書簡。ラスク国務次官補は、書簡を送り「合衆国政府は、遺憾ながら韓国の修正の提案に賛同することができません。」と伝えた
マッカーサーラインと竹島 暫定的漁業境界線であり国境ではないことを韓国は知らない日本が終戦後の漁船操業許可区域を示した海図とラインで竹島が韓国側に入っていることを、韓国側が日本が竹島を韓国領土だと認めていた証拠だという韓国記事があった。
ラスク書簡を韓国はいつ読むのか独島、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、我々の情報によれば、日常的には人の居住しないこの岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。
竹島領有権 日韓共同宣言を結ぶもこれも事実上の破棄状態となる 約束を破り捨てる国竹島周辺海域を暫定水域と設定し、引き続きお互いの漁業は行えるものとするが、漁業種類別の漁船最高隻数決定を含む適切な漁業管理を行う、相手国EEZ内での操業を許可制とし、漁獲割当量の規定を設け制限する、取り締まり権は沿岸国が有する。
韓国が竹島と主張する于山島は幻の島。于山島の存在は未だ確認されていない。韓国が主張する于山島=竹島は未だどこにあるかが不明な島だ。根拠としている文献は鬱陵島の西側に記され、古地図にも鬱陵島の西側、文在寅がスペインで見たダンビルの古地図も于山島は西側に描かれている。