大航海時代をアジアの視点から見る。日本は世界をどのようにみていたのか?
2024-09-29 カテゴリー:日本クリック応援よろしくお願いします。
西洋史観から脱する
日本が戦争に突入した時代、世界はどんな場所だったのでしょうか。日本は間違った戦争をした、過ちを犯したといわれます。これに反論することは 戦争が正しいということを意味するわけではありません。私たちが学んでいるのは決して有色人種から見た歴史ではありません。一度視点を変えて有色人種の目線であの時代を見てみましょう。
植民地にならなかった国
世界中で有色人種の国で植民地とならなかった国は日本、タイ王国、ブータン、ネパール、エチオピアくらいでしょうか。裏を返した場合これらの国以外は 地球上津々浦々まで植民地となったということです。ブータンについては直接的な植民地とはなりませんでしたが、シンチュラ条約によって外交権についてはイギリスの干渉を受ける形の独立でした。ネパールについてもスガウリ条約によって広大な領土をイギリスに割譲した上で独立が保証される形でした。内政については独立それ以外はイギリスに従属した関係でもありました。
タイについてはイギリス領フランス領の緩衝地域として、絶妙なバランスで外交を行い独立を保ちました。植民地政策は欧州諸国同士の争いにならないように植民地化、分割がされましたが、ベトナム、ラオス、カンボジアと東南アジアの東側を支配してきたフランスとインドやミャンマーを植民地化してきたイギリスと領土がちょうど隣接しないように、緩衝地帯としてタイが役割を果たすことを上手に提案しました。アフリカではエチオピアがイタリアの進出を撃退し独立国を保ちました。その他リベリアも独立国でしたが、アメリカによる建国であったためここでは除外します。
ここで考えたいのは、日本はきっと見逃してもらえる。日本だけは大丈夫だという主張が当時あったとしたならば、その根拠は一体何でしょうか。逆に日本も植民地化される可能性が高いと考えた場合、それは間違った発想だったのでしょうか。
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オスマントルコを嫌った西洋
大航海時代西洋諸国は大きな船を建造し、大海原に出て新天地へ向かいます。これは植民地時代と奴隷貿易の始まりというのが有色人種から見た解釈となるでしょう。それでは欧州諸国はなぜ船を出した のでしょうかそれはオスマントルコの勢力が拡大し、地中海貿易の覇権を握られ始め地中海から中東を介する これまでの東方貿易から脱し、新たに自分たちの貿易ルートを作る必要性があったのです。そのため大西洋に面する国々は船を作り海を渡ってアジアを目指します。もともと大西洋側の国々は地中海貿易からの恩恵は 立地的に少ないものでもありました。
喜望峰到達
ポルトガルのバスコダ・ガマがアフリカ最南端の希望岬に到達します。これによりモザンビーク海峡を経てアラビア海へ北上し インドに至ることが確認されます。希望岬と呼んでいますがアジアからみたらまさに絶望岬ではないでしょうか。アフリカではヨーロッパ、アフリカ アメリカを結ぶ三角貿易の中で奴隷貿易が行われるようになります。中国は自分たちは植民地にならなかった国として主張しています。正確に言えば主権を維持してはいたので植民地ではないとも言えますが、主要都市には欧州諸国の租界が置かれ 法律も行政も中国の主権下にはありませんでした。中国の領土があまりに大きかったので分断して統治しただけという見方もできます。
植民地時代の幕開け
バスコダ・ガマ希望岬到達が1488年ですから その後次々とアジアは分割されていくことになります。最も長いアジア植民地は460年間となっており、つまりこの長い長い年月をかけて、アジアは東へ北へと植民地となっていったわけです。中国に至っては1840年のアヘン戦争 1856年のアロー戦争を経て次々と分割されていきます。これを日本はどのように見ていたのでしょう。鎖国政策は西洋キリシタンによって日本人が拉致され、奴隷として貿易されていたり 朱印船貿易の中で東南アジアの環境が変わっていく国際情勢の情報を得ていた中で行われました。
無抵抗だったアジア
この時点では江戸幕府が日本にまで植民地支配が及ぶとは 全く考えていなかったでしょう。当時大国であった中国が落ちるとは考えられないことだったでしょうし 、カンボジアの植民地化は1863年であり、ベトナム植民地化は1887年ですから、1600年初頭に日本にまで欧州の勢力が及んでくるという状況でもありませんでした。そうすると中国が敗北し分割され中国の港を欧州諸国に抑えられた場合どうでしょうか。これは日本に対しては目と鼻の先となり、海路から日本を責めることが可能となります。恐らく日本人から見た場合 欧州から最も遠い島国の日本に欧州勢力が迫ってくるということは「アジアの国々よ、ちょっとしっかりしてくれないか」という気持ちにはならないでしょうか。
日露戦争の勃発
ただの一国でも欧州に抵抗し植民地化を食い止めていれば、こんな辺境の島国にまで欧州の手が及ぶような そんな距離では全くありません。しかしアジア諸国は全くの抵抗もできずに国を明け渡していくのです。そして最も遠い島国日本のすぐ近くまでやってきてしまいました。そして現実的な事件が起きます。それが日露戦争です。ロシアは北東アジアの利権を手に入れるために、バルチック艦隊をウラジオストクに送ってきます。このとき日本は戦い白人勢力の一角を撃破したのです。
400年余りの植民地時代
もはや欧州勢力は日本にとっての現実的な問題となりますさてこのように見た場合日本は一方的な侵略者でしょうか。シンガポールは1511年から431年間 マレーシアは1511年から430年間。東ティモールは1515年から460年間。フィリピンは1565年から381年間。インドネシアは1602年から340年間。これは欧米から植民地支配されていた年数です。これは日本が侵攻したことで白人統治期が終わり、統治権が日本に移ります。日本が統治した期間は実際は2年から5年間ですね。朝鮮半島や台湾は植民地ではなく同化政策による併合であったのですが 、それでも台湾が50年、朝鮮半島が35年となっています。台湾は下関条約による割譲であり、朝鮮半島は条約締結による併合なので、侵略と言う言葉はあたらないでしょう。中国国内の租界から日本は日中戦争後、欧州勢力を追放し 汪兆銘の南京国民政府に租界を返還します。
アジア史観で見る視点が必要
東南アジアでは終戦まで最長で5年間、日本統治となりますが 日本が撤退した後、東南アジア諸国は次々と独立を獲得して行きます このように、日本は欧州の領土に対して侵略をした為 西洋は怒っているということなのです。 このような西洋人から見た歴史観と考えれば理解でき、問題は日本人が教育の中でその解釈をそのまま内面化してしまっているということです。有色人種の立場として歴史を見てみる視点も必要なのではないでしょうか。