桓武天皇の母は百済王の子孫の高野新笠 - 皇室は男系継承であることを忘れてはいけない
2022-12-02 カテゴリー:日本文化Photo by Unknown author (licensed under CC0 1.0)
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桓武天皇の母は百済王の子孫
平安時代の桓武天皇の母親は百済系渡来人の高野新笠という人物だ。日本と百済の関係は分からないことも多いが、推測の域としてはるか昔に遡ることができる。「魏志倭人伝」には倭国(日本)は、狗邪韓国と接すると記されており、現在の日本列島と朝鮮半島の南端に日本人が住んでいたことになる。
古代から交流のあった百済地域
それ以前に日本式の古墳。前方後円墳は朝鮮半島の百済地域から見つかっている。日本の岩宿遺跡から発掘される磨製石器の伝播を辿っていくと、朝鮮半島まで広がった形跡が時系列に分かるようだ。663年の白村江の戦いにより百済は滅亡し、朝鮮半島から撤退する。その際に多くの百済人が日本に亡命した。
日本の氏族として生きた百済王氏
百済最後の王である義慈王の子である善光を始祖とし、日本の氏族として、百済王氏という氏姓が賜与された。その子孫が桓武天皇の母親ということだ。私の記憶では百済が朝鮮半島にあった時代に天皇家の女性が百済王と結婚した記憶だったが、探してみたが見つからなかった。一般人を嫁に迎え入れる風習は戦後からであり、それまでは何かしらの血縁関係がなければ天皇の后になることはないとすると、やはりそれ以前に親戚関係にあったことになる。
百済王氏の子孫の高野新笠
この説については様々な論争があったが、現在の上皇陛下が在位中のお誕生日に、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であることに触れているため、間違えはないだろう。この誕生日のお言葉を実際に聞いていたのだけど、上皇陛下が発言されたことについては正直驚いた記憶だ。
上皇陛下も言及
このことを踏まえて、韓国では天皇は韓国人の子孫だと言い出す人間が多いようだが、あくまでもその代、一人后を百済王の子孫から迎え入れただけであり、そもそも天皇家は男系継承であるため、母をさかのぼって系譜を辿ることはない。しかも百済は朝鮮半島にて滅ぼされているため、それを日本が保護した立場となる。そして彼らは日本人と同化していく道を選んだのだから、韓国人ではない。