日本の国土創世譚「国産み神話」から見る日本の建国は国境や民族の概念では無く皇統の臣下となること
2023-12-31 カテゴリー:日本文化Photo by Kobayashi Eitaku (licensed under CC0 1.0)
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国産みの伝説から見る日本
日本という国は神話では伊邪那岐と伊邪那美が矛先を雲から翳し滴り落ちた雫から島々を作り、まず初めに生まれたのが淡路島とされる。瓊瓊杵尊の天孫降臨の場所は鹿児島や宮崎にまたがる高千穂峰と言われ、日本が建国される伝説は先ずは西日本から始まる。
葦原中国平定の抵抗勢力
葦原中国平定では皇統に最後まで抵抗した天津甕星は経津主神と建御雷神に今でいう房総半島の縁まで追い詰められたとされ、茨城県には建御雷神を祀る鹿島神宮が在り、建御雷神は相撲の神様としても知られる。力自慢の経津主神と建御雷神でも天津甕星を抑え込むことが出来ず、最終的には天羽槌雄神という織物の神が抑え込んだと言われ、鹿島神宮には先ず天羽槌雄神が祀られている。
天羽槌雄神 spider (licenced under sky-spider.com)
今でも左翼が多いのは偶然か
そのような経緯が在って千葉県や茨城県には皇統への抵抗勢力であった天津甕星を祀る星神神社も多数点在している。現在の皇統への抵抗勢力として志位和夫は千葉県四街道市であったり、成田闘争では左翼が全国から移住してきたり、立民の有力者が千葉県であったりするのは皮肉なものだ。
後に平定された東北北海道
この前提で現在の東北地方や北海道は含まれず蝦夷地と呼ばれる。その後蝦夷平定が行われ日本に編入される。ここで重要なのは皇統の臣下になるか否かが日本であるか否かという基準であり、現在で言う国際法上の国境や民族という概念はそもそも存在していない。
倭国は半島まで広がっていた?
日本には縄文時代から数々の民族が渡来し居住していたと言われ、魏志倭人伝には倭国は狗邪韓国と接すると記され、後漢書でも倭国は陸続きに半島の国と接していたと考えられる記述がある。倭国は半島の一部まで及んでいたとされるものだ。朝鮮三国志の中に実際は倭国も関わっていたという説もあり、百済と親交を深め白村江の戦いに参戦するも敗れ、百済民を日本は難民として受け入れている。
歴史的に皇統の臣下になるかが日本の基準
日本人である前提は皇統の臣下となるか否かということが歴史的な基礎であった。その前提を踏まえた結果日本国憲法の第一条があるとすれば天皇とは日本という国が生まれてから今日に至るまで日本の象徴である。その為世界で最も続いた国は日本となっている。
沖縄はどこへ向かっていくのか
余談だが沖縄の玉木デニー知事というのは日本とは何かについても全く興味が無く、日本の歴史も興味が無いようで皇統に服する気も日本国憲法に服する気も無いように見える。