早田ひな選手の発言から戦争美化という議論に発展する日本の世論の危うさ
2024-08-22 カテゴリー:日本文化Photo by XIAOYU TANG (licensed under CC BY-SA 2.0)
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早田選手の発言がおかしな方向に
卓球のパリ五輪メダリストの早田ひな選手が、記者会見で「今したいこと」という質問に対して、「鹿児島の特攻資料館に行きたいです。生きていること、卓球ができているのは当たり前じゃないのを感じたいからです。」と答えたことについて、ちょっとした騒ぎになっていますね。殆どの意見は称賛する内容が多いですが、古市というコメンテーターが余計な事を言って炎上しているようです。
中国の過敏な反応
中国では代表選手が微博で早田選手のフォローを外したとか言う話で、一体なぜすぐにそれが分かったのか疑問は在りますが、中国選手はまさに国家代表なので、政治的に利用されるのは織り込み済みとして見た方が良いでしょう。この話題は早田選手が発言した内容を飛び越えて、過去の戦争を美化するのか、という議論にまで発展しているように見えます。この戦争美化という言葉は、正に大陸、半島が使う言葉なことを知っておいた方が良いですね。
大陸半島は日本の理由はどうでもよい
大陸半島にとって、あの戦争が日本にとってどうだったか、どんな目的が在ったかなどはどうでもよく、単純に全て日本が悪いんだと刷り込み、それをそのまま内面化してしまっているのが多くの日本人で、その為、早田選手の発言などが出てくると、一足飛びに美化する、美化しないという結論に直感結合していきます。つまりその間が全く無いのです。過去の戦争を評価する以前に、過去の戦争が起こった経緯について日本人の多くは偏った情報しか受け取っていないように見え、良い結果にはならないでしょう。
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東京秀樹の遺書
唐突に思われるかもしれませんが、東条英機の遺書をご覧になったことはありますか?当時の戦争を主導する立場にあった人物で、戦後東京裁判で死刑判決を受けた人物です。
東條英機の遺書抜粋をご紹介します。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。」
いかがでしょうか。この文章の中には様々な要素が含まれています。
一つ目は、東条は日本国内についての責任を強く感じていたということ。
次にはアジアの諸民族について、共に協力するべきだと考え、他の民族同様に権利を持つべきだということは、現状差別的な立場にあることを指摘しています。次には戦後の動きについて、日本は赤化の防壁と表現していますが、これはソ連に対して日本が防壁となり、アジアの共産主義かが防がれていたということであり、その後の半島の分割、中国の共産主義化について将来の禍根となるとしています。東条を戦争責任者という一言で論じるのは簡単かもしれませんが、このような遺書から見える当時の戦争について論じられることはありません。むしろこのような歴史資料は完全に封印されていると言えます。
日本は東南アジアを侵略?
戦後教育で日本はアジア各国を侵略したと教えられていますが、当時アジアで独立国だったのはタイ王国のみです。中国は主権こそ維持していましたが、各地域は西洋からの租界が作られて、実質的には分轄されたような状態でした。
日本とタイ王国は同盟関係を結んでいます。その他東南アジアは、フランス領、イギリス領、オランダ領であり、日本はそれら地域に侵攻したということになりますが、そのようには教わりません。日本はあの戦争を本当にアジア解放の為の戦争だと位置づけていました。それは東条の遺書からも十分に読み取ることが出来るし、明治以降日本が取り組んできたのはアジアの近代化支援でした。日本は無謀な戦争をしたと教えられます。しかしどうでしょうか。日本は日清戦争に勝利し、日露戦争でロシアに勝利、東南アジアではイギリス、フランス、オランダ軍全てに勝利しています。ただイッコク、アメリカに対して敗北したということですが、これもそのように教わることはありません。ただ一言、勝てるはずもない戦争に無謀に突入したと教わるだけです。
ジャヤワルダナ氏の演説
サンフランシスコ講和会議での演説を取り上げてみたいと思います。後にスリランカ大統領となる、J.R.ジャヤワルダナによる演説です。
これは何を意味するでしょうか。当時インドとしてあった現在のスリランカですが、ここで言っているアジアのための共存共栄のスローガンとは、ダイトウア会議で掲げられたダイトウア共同宣言のことを意味し、自分達の国が解放される希望を持ったと、演説したのです。そしてジャヤワルダナ氏は、対日賠償請求権を放棄すると共に、日本を国際社会の一員として受け入れるよう、参加国に対して訴えました。このように、当時的だった国にとっては日本の戦争の理由などを理解する気が無いのは当然かもしれませんが、敵味方以外においてもあの戦争についての考え方はさまざまであるということが言えます。
戦争を善悪論で評価する?
さて、ここまでのお話しの中で、それではあの戦争は正しかったのか、間違っていたのかという疑問が生まれるでしょうか。おそらくそれこそが、大陸、半島視点であり、欧米視点であるのかもしれません。彼らにとっては日本は敵であるので、間違っているで良く、それ以上細かい理由などについては興味が無いし利益も無い訳です。その上で、一般論として戦争が正しいか正しくないかと聞かれればして正しくないと考えれば良いでしょう。過去に起こった戦争については、各々、細分化してみる必要があるでしょう。極端に言えば、あの作戦は成功だった、あの作戦は最悪だった。というようなものです。
世界史の中では様々な戦争が記録されていますが、単なる善悪論で評価されている者を見ることはありません。各々の戦闘、結果について勝因や敗因というものが論じられますが、日本ではそのような視点が自国の戦争に対してすら無い状態でしょう。簡単な見方として考えれば、戦争に至る前の日本を取り巻く世界情勢、次に、開戦、戦争の初期、中期、後期、終戦の仕方というようにいくつかのフェーズに分けてみる方法もあります。
日本の戦争の場合は、お話ししましたように世界中全てが西洋植民地となって行った時代に、アジア解放の戦争に挑んだという前提があり、日本が間違ったのは、戦争後期、つまり戦争の終わらせ方でしょうか。ミッドウェー海戦の敗北から制海権と制空権を取られた時点で日本が勝つストーリーを探すことが困難なのは、米国は日本を自由に攻撃できますが、日本は米国本土に対して一発の銃弾も発射することができません。この環境の中で、各地の空襲や原爆投下が行われる訳です。神風特攻隊が編成されるのも、このような戦局から生まれた間違った作戦であったと言えるでしょう。
日本が戦争に至った理由、戦った人達の思いや、作戦を実行した人々について、それら一切をひっくるめて、美化するのか、美化しないのか、正しかったのか、正しくなかったのかという二者択一の議論から、まだ日本は脱皮できていないのかもしれません。