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戦後神社信仰を封印した日本。完全な日本文化の復活はこれから

2024-05-21  カテゴリー:日本文化

戦後神社信仰を封印した日本。完全な日本文化の復活はこれから

Photo by Unknown (licensed under CC0 1.0)

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日本神道の世界観とは?

日本の宗教観の中で善悪の概念はどの程度もしくはどのような位置にあるのでしょうか。そもそも善悪の概念とは絶対的な意味で考えるのは一神教の宗教を前提としている場合が多いです。
つまりキリスト教ならキリスト教的な価値観による善悪やイスラム教ならイスラム教典に示される善悪の概念となるでしょう。一神教はその神が全知全能であり創造主であったり善悪を規定するものであるので一神教として存在しています。さてこの意味で日本古来のいわゆる神社信仰日本神道はどのような世界観になっているのでしょうか?

日本の神話は善悪の価値観で描かれていない

この点で戦後日本では古事記や日本書紀をGHQの指導のもとに封印することになり、日本古来の価値観を確認する機会を失うことになります。教育現場においても、キリストや仏陀マホメットの存在は学びますが、日本の神々についてはどうでしょうか。
日本国憲法の第1条には天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴と記されているにもかかわらず、天皇のルーツともされる神話の扉をかたくなに日本は閉じてしまったのです。古事記を読んだことがある方はご存知でしょうが日本の神話はそもそも善悪の概念で描かれていません。

とんでもない神々が一杯

むしろとんでもない神々が登場します。天照大神は果たして人格者でしょうか。弟の須佐之男命が全く言うことを聞かず暴れまわるので、拗ねてしまい岩戸の中に隠れてしまいました。そのおかげで世の中に太陽が出なくなり、神々は困り果てるわけですが、日本の神は拗ねて姿を消してしまいます。因幡の白兎の物語では白兎をだまして全身に裂傷を負わせたのはこれも神々となっています。八岐大蛇を退治したとされる須佐之男命も、それ以前に地上に降り立つ際に大気津比売神という女神から食べ物をもらいますが、大気津比売神が鼻の穴や口の中から食べ物を出していたことを見ていた須佐之男命は、無礼だと頭に来て剣を抜き食べ物をくれた大気津比売神を切り捨て殺してしまっています。

祖先崇拝と自然信仰

このような物語は様々ありますが、紆余曲折を経て瓊瓊杵尊の天孫降臨の伝説や国譲りの伝説神武天皇につながる物語が綴られています。このような点で日本神道はその他一神教の宗教とは違い経典による善悪を説くものでもなく、祖先崇拝と、そのルーツを知るためのそして自然にまつわる神々が登場することにより、自然信仰につながるものと言われることがあります。

全国8万社ある神社

日本には約8万社の神社があるとされています。これは世界各国の国内宗教施設としては非常に多いと言えます。ちなみにイギリスのキリスト教会の数は約16,000と言われています。コンビニエンスストアの数はいくつあるでしょうか。2023年では約5万7千店弱とされていますので、神社の数はその1.4倍にものぼります。コンビニはなぜ店舗数が多いのでしょうか?それはそれぞれの家から手軽にアクセスできるように地域を網羅するように広がっているからです。つまり神社は歴史的に日本人にとって身近でアクセスしやすいように設置されているのです。しかし日本人は自分の家の近くにある神社の由来やルーツを知りません。それはなぜでしょうか。それは教育現場を含めあらゆる場所でそれらを説明する機会を自ら失ったためです。これらを封印したまま日本文化を語ることが果たして可能でしょうか。それはかなり無理があるでしょう。

戦後切り離された神話

神社信仰は日本文化に脈々と受け継がれ切り離せない存在であるにもかかわらず、戦後それは切り離されました。教育という話になると宗教教育を禁止した憲法20条を持ち出す人がいます。この宗教教育の禁止については文部科学省が既に法的な見解を示しています。憲法20条の解釈としては、特定の宗教を推奨する教育や排斥する教育、もしくは何らかの宗教に帰依することを勧める教育。逆に宗教に帰依しないことを勧める教育としています。

宗教教育に対する誤解

つまり日本文化を教育する上でその由来を示す物語が古事記にある場合それは宗教教育の禁止には該当しません。現実にミケランジェロの作品を説明する場合にキリスト教の説明を一切封印して説明することができるでしょうか?
我々はなぜゴルゴタの丘の伝説を知っているのでしょうか。レオナルド・ダヴィンチの最後の晩餐は有名ですが、これを説明する際にキリストの名前を出すことは憲法違反でしょうか?仏教について仏陀の存在や除夜の鐘が108回鳴らされる理由について絶対に教えてはならないと誰かが言いましたか?そうです。日本は日本の神話に関してのみ宗教教育の禁止に抵触すると主張する人が多いのです。

良い神もそうでない神も祀られる神社

神社には良い神が祀られているというわけではありません。古くには伊邪那美神を死に追いやった火の神である火之迦具土神も祀られています。愛宕神社はその代表でしょう。黄泉の国に行き朽ち果てた伊邪那美神は人間を1日1000人絞め殺すと叫びましたが伊邪那美も神社に祀られています。
伊邪那岐神宮として、伊邪那岐神と共に祀られていたり、伊邪那美神社として祀っていたりします。大気津比売神に腹を立て殺してしまった須佐之男命は、各地域で多くの神社で祀られています。
太宰府天満宮はそもそも菅原道真が生前の恨みから死後怨霊となり、様々な天災を引き起こしたことからそれを鎮めるために祀られた神社となっています。葦原の中つ国を平定する際に最後まで抵抗した天香香背男も星神様として祀られています。葦原の中つ国平定とはつまり地上界を統一する試みです。

皇族をも評価しようとする世論

現在の皇室についても心ない人たちが皇族の人格について云々言ったりしているのを聞くことがありますがあまりにも無知と言わざるを得ません。
そもそも皇族の人格を評価する態度そのものが不敬だと個人的には思いますし、古事記までさかのぼり驚くべき物語を見る限り現在の皇族の方々は皆素晴らしい人格者です。皇族の方々が人格者であって欲しいという願望は理解できますが、そもそもの歴史上でそのような概念で皇室が作られてきたわけではありません。
これも一神教の概念を歪に、しかも自己都合で取り入れて何やら正当化しながら皇室を批判し自己満足をしているに過ぎません。皇室典範を見た場合も第3条には皇嗣に精神もしくは身体の不治の重患があり、または重大な事故がある時は皇室会議の議により前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができると書かれており、常識的に考えればわかる話ですが、主観的な人格評価で決まるものでもなく、ましてや国民の人気投票で決まるものでも全くありません。
前条に定める順序とは第2条に示された皇位継承順位に従ってという意味となりますが、第3条ではいわゆる皇室のご活動が困難である場合は、皇位継承順位を変えることができるとしたものであり、それは皇室会議で決められます女性週刊誌やワイドショーが決めるとはどこにも書いていないでしょう。

靖国神社と神社信仰

さて靖国神社を見た場合どうなるでしょうか?整理しますと靖国問題とは戦犯が祀られているからダメだという議論のように見えますが、これ自体が全く意味がないということがわかるでしょう。
なぜならば善悪の概念で祀っているというよりも、過去の戦争で日本のために命を落とした方を祀っているものです批判する側が引用する悪の概念についても、戦後戦勝国によって開かれた国際軍事法廷で戦犯にされたものという基準ですが、日本国内法において戦犯と判決を受けた人は一人もいません。

そもそも神社には善か悪かという概念で祀るか祀らないかを決めている訳ではないということを日本人が知っているならば、無礼な隣国の批判については宗教への侵害であるという一言で終わりの話となっています。戦犯が祀られていて何が悪いかということですね。
見方を変えれば日本の神社信仰は善悪の概念を超えたルーツを示すものという言い方もできるかもしれません。このように靖国問題一つを取ったとしても日本文化も何も知らない隣国が大声で喚いてくれば、動揺してしまうのはそもそもこのように神社にまつわる考え方や、歴史観が曖昧であるためすぐに揺らいでしまう訳です。現在の善悪の価値観で日本全国にある8万社の神社を分別して破壊しますか?驚くべき神様がたくさん祀られていますが・・・




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