日本は併合した相手の王族を保護した | 国譲りで建造された出雲大社 | 日本の神話にも登場する日本の考え方
2024-01-10 カテゴリー:日本文化Photo by Saigen Jiro (licensed under CC0 1.0)
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朝鮮王族を保護した日本
大韓帝国最後の皇帝となった純宗は日本統治時代、王公族として昌徳宮に住んだ。昌徳宮が火災に在った際に焼け残った楽善斎で暮らしたが、徳寿宮への引っ越しの提案に、「天皇陛下から賜った昌徳宮だから動かぬぞ」と述べ李完用を叱責した。
清朝愛新覚羅氏を保護した日本
清の最後の皇帝の溥儀は辛亥革命時に退位との引き換えの約束として紫禁城に住んだ。辛亥革命は日本と孫文の合作だった。日本の関東大震災の際には溥儀は紫禁城内の宝物を金に換えて多額の義捐金を芳澤謙吉に託した。袁世凱の死後溥儀は紫禁城を追放され日本が保護することとなり満州国皇帝に就任した。清とは日清戦争で戦った日本の敵国である。
これらの国々が日本を批判する
このような日本の考え方についてあまり注目されることなく日本が侵略した、侵略したと叫ぶ少数の国が在る。少なくともこれらの国のかつての君主について日本は丁重に扱い保護をした。中国は自ら清王朝の愛新覚羅氏を追放している。
国内外から観光客が集まる出雲大社
出雲大社は日本でも海外旅行客からも有名な神社だ。日本内外から多くの観光客が訪れる。理由は雄大で正に景観は芸術そのものだ。そもそも出雲大社とは国を明け渡した大国主神の為に作られた。これは日本の神話の話である。
須佐之男命と天照大神
最初日本では、伊邪那岐の息子の須佐之男命が天界(高天原)を追放され地上(葦原中国)に降り立ち国を広げた。大国主神とはその子孫となる。そもそも地上を統治せよと伊邪那岐から命じられたのは天照大神だったのだけど、天照大神の孫が国つくりの為に地上に降り立つ為に事前に建御雷神を地上に派遣し国譲りの交渉が行われる。
国譲りの神話と日本文化
大国主神の二人目の子供の建御名方神が抵抗し、建御雷神との戦いに追い詰められ信濃の国から出ないのでここで暮らさせてくれと頼み、諏訪の国に鎮座した。これは長野県の諏訪神社となっている。結果的に大国主神は出雲の国に御殿を作っていただけたら遠い世界からお仕えいたしますと言って自害した。そこで作られたのが出雲大社と言われている。この神話の中でも破れた相手に対し、現代でも雄大に存在する出雲大社を建設した。これは日本の文化であることは間違えが無い。