辛亥革命を支えた日本、ラストエンペラーを保護した日本、西洋についた中国
2021-11-25 カテゴリー:中国
愛新覚羅溥儀 Photo by Unknown author (licensed under CC0 1.0)
中国の歴史は72年
中国4,000年の歴史と言うが間違えているだろう。中華人民共和国は1949年成立だから現在72年である。習近平主席は辛亥革命110年記念式典で孫文の意志を継ぐのは中華人民共和国だと発言したが、それでも110年だ。
現在の中国地域に人類の歴史が4,000年在ったと表現するのが正しい。
辛亥革命は日本の支援で行われた
孫文は日本に亡命した際に日本社会や明治維新を学び辛亥革命に成功した人物だ。それらを支援したのは犬養毅や宮崎滔天である。
孫文は「日本の維新は中国革命の原因であり、中国革命は日本の維新の結果である」「両者はもともと一つにつながって東亜の復興を達成する」と言っている。
そうすると現在の中国を作ったきっかけは孫文と日本ではないか。
MEMO
辛亥革命を支えたのは日本であり、孫文は日本の東亜復興の希望も同時に引き継いでいました。
関東大震災に義捐金を送ったラストエンペラー
愛新覚羅溥儀は中国の最後の皇帝の宣統帝、ラストエンペラーだ。辛亥革命後溥儀は紫禁城に住むことが退位の引き換えの条件として在った。日本で関東大震災が起こった際に溥儀は日本に対する義捐金を送ることを表明し、紫禁城内にある膨大な宝石などを送っている。
追放された溥儀を保護したのは日本
その後北京政変が起き溥儀は紫禁城から追放されるが、溥儀を保護したのは日本だった。義捐金を通じた芳澤謙吉に保護を打診した。その後日本租界の天津に保護される。
日本の関東軍が満州地域を制圧した後に、満州国の初代皇帝となったのが溥儀である。満州国は日本の傀儡政権のような存在ではあったが、ソ連の参戦まで皇帝として生活を送った。
東京裁判に出廷したラストエンペラー 清朝最後の皇帝~満州国初代皇帝は時代を見ていた清朝の最後の皇帝は愛新覚羅溥儀である。ラストエンペラーとも呼ばれ、東京裁判に出廷した。ここで彼はGHQの面前で孫文が起こした辛亥革命を中国にとって革新的行動と評価し、清の官僚たちは腐敗し切っていたと発言した。
中国は孫文の意志を継いだのだろうか
孫文の意志を継いだ者は誰なのかということを考えたら、孫文の「両者はもともと一つにつながって東亜の復興を達成する」という言葉を前提にした場合中華人民共和国ではないことは明らかだ。
中国はアジアに在りながらアジア植民地化を進める西洋側についたではないか。
POINT
第二次世界大戦で中国は西洋側につきました。ポツダム宣言では米英中の連名となっています。