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東京裁判に出廷したラストエンペラー 清朝最後の皇帝 - 満州国初代皇帝は時代を見ていた

2022-07-30  カテゴリー:中国

東京裁判に出廷したラストエンペラー 清朝最後の皇帝 - 満州国初代皇帝は時代を見ていた

Photo by Unknown author (licensed under CC0 1.0)

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東京裁判に出廷したラストエンペラー

清朝の最後の皇帝は愛新覚羅溥儀である。ラストエンペラーとも呼ばれ、東京裁判に出廷した。そこで彼はGHQの面前で孫文が起こした辛亥革命について、中国にとって革新的行動であったと評価し、当時の清の官僚たちは腐敗し切っていたと発言した。

辛亥革命は日本が支援した中国の革命

辛亥革命とは、日本の要人たちが支援した旧王朝支配下の中国を近代化するために起こした、日中合作の革命である。孫文は孫中山。中山は日本名であり日本亡命時代の名だ。溥儀はそのことをよく理解していた。

満州はロシアが奪いに来た清王朝の領土である。清朝は満州族が建国した、つまり溥儀の祖先が建国した中国の王朝だ。

旧王朝勢力と手を組むしか無かった革命

辛亥革命は北洋軍閥を抑制するために袁世凱の力を借りなければならず、中途半端に進められた革命であることを否定できず、溥儀は紫禁城に居住する条件を破棄され追放される。

ロシアの手は大陸そして半島に伸びていた

満州でのロシアの利権衝突、朝鮮半島での衝突は同時に進んだ。ロシアは中国も朝鮮半島も日本も北東アジア国家として同じように植民地支配をすれば良いと考えた。

日露戦争は、朝鮮半島のロシア植民地化を阻止した戦争以外に、満州からロシアの利権を排除し、満州国の建国につながる。そして溥儀は満州国の初代皇帝に就任した。

満州国の五族協和の理念

満州族の溥儀は紫禁城を追放され、満州族の故郷で再び皇帝に即位したのです。朝鮮半島、満州には多くの労働者が行き交い、肥沃だった満州の土地を耕作しに多くの朝鮮半島人が移住した。満州国の「五族協和」の精神とは、まさにこれら民族が共存している現実の中に建てられた理念であり、日本・韓国・満州・モンゴル・漢族が共存するということだ。

朝鮮半島では日本による収奪と虐殺行為が行われていたという。不思議だ。




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