「君が代」を合言葉に行われた【台湾】暴動二・二八事件その後敷かれた戒厳令は38年間に及ぶ
2024-08-25 カテゴリー:台湾Photo by Solomon203 (licensed under CC BY-SA 4.0)
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遅かった民主化
台湾の民主化は1996年、韓国は1987年ですから、台湾は韓国からは9年遅れて初めての総統選挙が行われ李登輝総統が選出されました。李登輝総統は、民主化に向かったのは何故かについて、「台湾の人々に、枕を高くして寝させてあげたかったからだ」と答えています。戦後、日本の統治を離れ台湾を統治したのは、蒋介石率いる、中国国民党の中華民国でした。中華民国政府は「台湾は日本統治の苦しい時代を終え『祖国』の懐に戻った」と伝えました。台北郊外の基隆港から上陸する中華民国の兵士たちを、台湾の人々はそろって歓迎したといいます。日清戦争後、下関条約以降50年間台湾は日本統治下に入り、第二次世界大戦を日本人として経験しました。
兵士を見てドン引き
しかし、出迎えた人々は中国兵たちを見て顔色を変えました。それまで見慣れた、揃いの軍服で整然と隊列を組んで歩く、日本の兵隊と比べると、あまりにもみすぼらしかったからなのです。船から降りてきた国民党軍の兵士らは、天秤棒を担ぎ、着の身着のままでやってきたといいます。間もなく、勝手気ままな中華民国政府の汚職が蔓延し、台湾人は、国民党軍について「犬が去って豚が来た」と表現しました。その意味は犬は日本のことで、はうるさいが家を守ってくれる。豚とは国民党のことで、食べつくすのみだという意味でした。台湾は日本統治時代日本の教育を受け、節度や節制、我慢という概念を教わったといいます。
それによって台湾社会は秩序づけられ犯罪が減りました。台湾人にとって中国国民党による支配はあまりにもひどく、対照的に見えたのでしょう。
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親日暴動勃発
二・二八事件が起きます。日本時代を懐かしむ人々が暴徒と化し、鎮圧の名目で中華民国政府による虐殺に発展します。その後、人類史上最長と言われる38年間も戒厳令が敷かれ、その事件の49年後に民主化を成し遂げたことになります。二・二八事件は中華民国政府に対し日本統治を支持する台湾人による暴動でした。
事件の発端は、1947年2月27日に台北市で発生した、密輸タバコの取り締まりが、警察によるタバコ店の女性への暴力が行われたということで、対立に発展したことでした。政府の高官とその関係者はタバコを密輸して稼いでいました。それについての取り締まりをせずに、名目上、末端の小売人ばかりを取り締まることへの憤懣も溜まっていました。この対立は次第に台湾全土に広がり、多くの市民が政府に対して抗議運動を展開しました。
暴動時の街 Unknown (licenced under CC0 1.0)
歌われた君が代
本省人とは終戦前に台湾に移住してきた人。外省人は戦後に、中国大陸から、台湾に移住してきた人を意味します。この暴動の中で、本省人と外省人を区別する為にどのような方法が使われたかご存じですか?それは、「君が代」を歌わせて、歌えなかった者は外省人であるとして攻撃対象となりました。「君が代」は当時台湾人が誰でも歌い、慣れ親しんだ歌だったのです。しかし、政府側はこれを武力で鎮圧し、結果として数万ともいわれる台湾人が命を失いました。台湾社会に深い傷を残し、その後の台湾政治に大きな影響を与えました。国民党政府による戒厳令と厳しい政治的抑圧が続き、この期間は「白色恐怖」と呼ばれるようになりました。台湾における本省人と外省人の間の関係にも深い溝を生じさせました。
韓国も戦後混乱
日本統治が終わったからと言って、安定的に国家運営ができる訳ではありません。韓国についてはどうでしょうか。この二・二八事件の影響は分かりませんが、1948年には済州島4.3事件が発生します。これは済州島で左派勢力が蜂起し、これに対する政府の弾圧が非常に激しく行われました。韓国政府軍と警察が、共産主義者やその支持者を排除するために、無差別に多数の住民を殺害し、島民の5人に1人とされる、約6万人とも言われる死者が出たとされています。そして国外逃亡などで、島民人口28万人から3万人に激減しました。日本への戦後移住者の在日は、約20万人とされましたので、殆どが日本に移住してきたものと考えられます。ちなみに、大陸、半島は自国民を虐殺することが普通の文化でもあります。日本には自国民を虐殺するような歴史はありません。
受け継がれる民主化の精神
戒厳令に対しての民主化は、李登輝総統が言う「枕を高くして寝させてあげたかったからだ」という言葉に集約されています。そして民主化運動の原動力とは何かと聞いたところ李登輝総統は、「日本教育だよ。人間に生まれてきたからには『公共』のために尽くせ。そう教育されてきたんだ。」と答え、台湾の民主化の原動力は日本統治時代に在ったと答えました。台湾は民主化を成し遂げ、李登輝総統の思いは蔡英文総統に引き継がれ、現在は頼清徳総統となっています。
李登輝総統 李登輝基金會 (licenced under CC BY 4.0)
語られない二・二八事件
日本では不思議と、この二・二八事件について言われることが無いかと思います。台湾人が君が代を合唱して進んだという話については驚きでしょう。現在台湾は超親日国家として、とても有効な関係となっていますが、実際は戦後、長い長い間弾圧を受け、戒厳令の下、親日であり続けたのです。
このように、台湾も朝鮮半島も、日本統治を経ましたが、その後は混乱の時代が続きました。ただ違う点は、中国国民党の蒋介石は、我々の敵は日本の軍閥のみであり、われわれは報復してはならず、まして無辜の人民に汚辱を加えてはなりません。彼らが自らの誤りと罪悪から抜け出すことができるように、慈愛をもって接するのみであります。と、終戦の日に演説を行っています。蒋介石は日本統治そのものは否定をせず、韓国の李承晩は反日捏造歴史によって、親日勢力を次々と弾圧して行きました。そもそもの歴史として、台湾と韓国は全くバックグラウンドが違っているうえで、戦後の歩みも全く異なったものとなります。