台湾二・二八事件は親日による暴動。民衆は君が代を合言葉にして行進した
2021-10-20 カテゴリー:台湾日本が去った後に起きた暴動
台湾での2.28事件は1947年2月28日に発生し、台湾全域に広がった。日本の敗戦後、蒋介石率いる中国国民党は台湾の行政を継承した。その統治はあまりにも杜撰であったため、本省人(台湾人)の大きな反発を買った。
本省人は、国民党政府の施設を襲撃し、外省人(大陸人)の商店を燃やした。日本語や台湾語で話しかけて答えられない人を外省人として暴行した。
50年間日本統治下にあった台湾
台湾が日本統治下に入ったのは、日清戦争で日本が勝利した後の下関条約締結によるものだ。因みに同条約で朝鮮半島は清からの独立が明記された。台湾統治では様々な治水、インフラを日本が整備し、台湾が大きく近代化した時代だった。
犬が去って豚が来た
日本が撤退して中国国民党がやってきた時、台湾人は「犬が去って豚が来た」と表現した。犬はワンワンと煩いが、家を守ってくれる。豚は食べつくすのみという意味だ。国民党による統治に民衆は激しい抵抗を繰り広げた。
合言葉は「君が代」
台湾人の中には日本語を話せない者もいたが、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌うことができたため、全台湾人共通の掛け声として「君が代」を歌い、歌えない者を外省人として排除して行進した。
これに対し国民党政府は、鎮圧するためになんと虐殺を行うのだ。犠牲者は1万8千~2万8千人ともいわれる。戦後台湾では朝鮮半島とは全く正反対の事件が起こっているのだ。
台湾の親日は突然始まったのではない
日本敗戦直後に親日暴動のような、反国民党の事件が起きている。それが2.28事件である。現在の外国人の日本ファンは主に漫画やアニメを入り口としているパターンが多いのは、日本政府が推進したCool Japan戦略の大きな成果だろうが、台湾の親日はそういうレベルではない。
日本統治が親日の前提
台湾の親日は何が違うかと考えた場合、それは日本統治時代の50年間が前提として始まっており、そしてそれが絆となり戦後77年以上も親日であり続けている国なのだ。真実の歴史を前提にした国と国との繋がりを日本はしっかりと考えていくべきだ。