台湾で偉業を成し遂げた八田與一 今でも感謝する台湾
2020-07-07 カテゴリー:台湾クリック応援よろしくお願いします。
八田與一は台湾総督府として台湾の開発を行った。最も有名なのは嘉南平野の水田開発です。広大な平野は灌漑設備が不十分であったため、度々干ばつが起きた。そこへタム建設と水路開発を行った。作成した水路の総距離は万里の長城の総距離を超えています。
日本で関東大震災が発生し、日本からの財政削減が不可避となったとき八田は悩みに悩み、人員の解雇を発表する。自分たちは解雇されると思っていた台湾人だが、解雇された人員は日本人であった。
台湾人労働者が八田にその理由を尋ねると八田は、「今作っているのは台湾人の為の農地です。台湾人が作ったことでなければ意味がありません。」と回答した。農地開発は成功し、現在も美味しいお米がとれるそうです。
八田の貢献を讃え、銅像を建てたいという要請に対して、八田は断ったのだが、再度要請され、「偉そうに立っている銅像は嫌だ。」と伝えた。そのため八田の銅像は座っていて、当時の台湾人が良く見た、八田が思案している銅像となった。
李登輝総統は、八田の故郷の金沢市を訪問した。
陳水扁総統は八田に対して褒章令を出した。
馬英九総統は烏山頭ダムでの八田の慰霊祭に参加した。
八田の妻の外代樹も顕彰の対象となり、八田與一記念公園内に銅像が建立された。