一国二制度と歴代台湾総統の考え方の推移~中国代表政府を争った過去
2021-07-06 カテゴリー:台湾
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一つの中国とは正統政府がどこかという問題
そもそも一つの中国という概念は併合論ではなく、中国本土の領有権の問題であり、中国の正統政府が中国共産党か国民党かという問題だった。蒋介石は中華民国が中国全土の正統政府であることを主張し、毛沢東は中国共産党が中国の正統政府だと主張した。蒋介石は、日米からの二つの中国への主張変更により国連に留まるべきという説得を拒否し、台湾(中華民国)は国連を脱退した。これが全ての始まりだろう。
二転三転してきた一国二制度
蔣経国は一国二制度、李登輝時代も一国二制度だったが1999年に李登輝総統が「特殊な国と国の関係」という表現により、初めて2つの国という概念が出てくる。陳水扁時代は「一辺一国」として、台湾海峡を挟み両側の国は別の国であると表現した。馬英九時代には1992年の九二共識(一つの中国の概念を認めつつ、解釈が違うことをお互いに認めるという合意)を維持すると表明。ここで一つの中国に逆戻りする。
蔡英文総統は一国二制度を認めない
蔡英文総統は九二共識を認めないとし、現在に至る。九二共識を認めないとすると、一国二制度を認めないだけではなく、お互いの解釈をも認めないというところに戻るが、これは中国にとって台湾の主権を認めないという考え方に利用される。
台湾憲法には孫文の遺教に依拠と記載
台湾の憲法を見てみると悩ましい。憲法の前文には「中華民国を創立した孫中山先生の遺教に依拠して」と書かれている。韓国憲法でも言えることだが、憲法は国内法の原点のなる法律であるため、何かを引用するべきではない。
憲法改正と独立論
今後蔡英文総統がどのような道に進むかは分からないが、憲法改正を含み、歴代総統の解釈のほぼ全てを覆さないといけない。とても大変な仕事だが成功してほしい。
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