台湾が国連を脱退した日|未だに国連復帰できない|トランプ政権復活で何かが動くのか?
2024-08-12 カテゴリー:台湾Photo by 總統府 (licensed under CC BY cc2.0)
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北朝鮮を国家承認する国
北朝鮮を日本は国家承認をしていませんが、北朝鮮を国家承認している国は151カ国あり、国連にも加盟しています。その為日本の外務省は、世界の国の数を北朝鮮を除いた196ヵ国としていますが、検定教科書では、北朝鮮が国連に加盟していることを踏まえて北朝鮮を含む197ヵ国と表記しているようですね。台湾との違いは、国家承認している国の数と、国連に加盟しているかいないかということでしょうか。
台湾を国家承認する国
現在台湾を国家承認している国は、13ヵ国となっており、台湾は国連に加盟していません。国家承認している国が13ヵ国あるということは、その13ヵ国にとっては台湾は国であり、大使館が存在して国交が在るということになります。それでは国連に加盟していないという点はどうでしょうか。
国の定義とは
現在日本が国家承認している国は195ヵ国あり、その中のバチカン、コソボ、クック、ニウエは国連に加盟していません。しかし日本としては国交があり、正式に国家として承認をしていると言うことになります。そうすると、国連に加盟しているかどうかが、国であるか国で無いかという判断にはならず、あくまでも国同士が国として承認しているか否かによるもののように見えます。国際的には国をどのように定義しているのでしょうか。これは、1933年の「モンテビデオ条約」に示されているものがあり、国家資格要件として、① 永久的住民、② 明確な領域、③ 政府、④ 他国との関係を持つ能力を上げています。
国家条件を満たす台湾
台湾を見てみるとこの条約の要件を全て満たしているものと考えられます。国交が在る国が13ヵ国であることと、他国との関係を持つ能力をどのように評価するかということはありそうですが、これはあくまでも国際的に中国に妨害されて国交が結べないという側面が大きいです。モンテビデオ条約が示す国家要件から考えてみると、台湾は国家要件を満たし、国として認める国が13ヵ国あり、これが増えないのは中国からの妨害の為で、同じ目的で国連に加盟することができない。と見るのが正しいでしょう。
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国連加盟条件
国連の加盟条件では、理事国15カ国のうち9カ国の賛成が必要で、常任理事国 のうち1ヵ国でも反対すれば、加盟勧告は出せないとしていますので、常任理事国に中国が居る限り国連加盟はできないことになります。それでは、台湾はこれまで国連に1度も加盟できなかったのでしょうか。そんなことはありません。日本ではあまり言われることが無いのは不思議ですが、台湾は国連の常任理事国でした。
常任理事国だった中華民国
日本は終戦においてポツダム宣言を受託しましたが、相手国に記されているのは、アメリカ、イギリス、中華民国です。これは現在の台湾の中華民国ですね。終戦後1945年に国連が発足しましたが、その時常任理事国として座ったのは蒋介石の中華民国となっています。終戦後蒋介石は南京に戻り憲法を制定しますが、国共第二次内戦が始まります。1949年に中華人民共和国が北京を首都に建国を宣言し、中華民国は抵抗するも敗北が続き、同年12月に台湾に首都を移すこととなります。この時も台湾での中華民国が国連の常任理事国となっています。この状態は1971年まで22年間。国連発足から26年間、中華民国が常任理事国でした。
アルバニア決議
それでは1971年に何が起こったのでしょう。国連のアルバニア決議というものが提起されます。これは中華人民共和国と親交が深いアルバニアなど23ヵ国が連名で提出した、中国の代表権に関する決議案です。実質的に中国大陸を実効支配している中華人民共和国を、中国の代表政府として認め、中華民国を国連から追放するという内容のものでした。その後紆余曲折あり、中華民国の追放ではなく、蒋介石代表の追放というように改められています。
これは国連の常任理事国を、どちらの政府が正当な政府かどうかを争った決議であり、結果は賛成76、反対35、棄権17、欠席3で通過することとなります。日本は蒋介石に対して国連に留まるよう説得しアメリカと連名で「追放反対重要問題決議案」「二重代表制決議案」を提出しましたが、「追放反対重要問題決議案」は、このような国連議席に関わるものは重要な案件なので、国連憲章18条に則った3分の2の多数によって決められるべきとしたものでしたが、これは反対多数で否決され、「二重代表制決議案」は、アルバニア決議案が通過したことを受けて採決されることはありませんでした。この「二重代表制決議案」は、常任理事国を中華人民共和国を代表として、その他議席を中華民国が維持するという内容でした。
さて、このアルバニア決議案が通過したことに反発して、蒋介石は国連の議場を後にし、中華民国は国連を脱退します。これは自ら脱退したという形となっています。厳密に考えると、決議案自体は蒋介石代表の議席追放ということなので、中華民国が国連に残る道は残されていたものと考えることもできます。そして現在の中国が言っている「一つの中国の原則」について、このアルバニア決議が認めた訳ではなく、あくまでも代表政府がどちらかを採決したに過ぎないのです。
国連に残る道はあった?
国連は、これまで過去に遡って国連を除名された国は一つも無いとしています。国連憲章の第5条に資格停止の条件が書かれていますが、これにこの代表権問題が抵触するとは思えず、その為アルバニア決議案も、当初の中華民国追放という文言を、蒋介石代表の追放と書き換えたのかと思われます。この、中華民国追放なのか、蒋介石代表の追放なのかについては日本の情報では両方のものがあり、アメリカの資料では原文が載せられてあり、そこには蒋介石代表の追放と書かれています。
このように考えてみると、中華民国は蒋介石が政府代表から降りれば、中華人民共和国と別の国としての中華民国として、国連に加盟する道もこの時代にはあったという見方もできます。もちろん蒋介石が代表を辞するということは現実的にはありません。1947年に中華民国では二二八事件が台湾で起き、1949年から38年間もの間、戒厳令を敷くような軍事政権下にありましたから、現在の台湾のような民主主義の優等生のようなものとは正反対で、当時の国際社会からはそのような意味でも、国家運営としても疑問視されていたという状態でした。この戒厳令38年間は人類史上最長とも言われています。
このアルバニア決議こそが、現在中国が主張する、国際社会が一つの中国の原則を支持したという根拠となっていますが、そのような決議がされたことはありません。アメリカ政府は正式に、代表権問題は決議されたが台湾領有権問題は決議されていないと見解を示しています。
とはいえ、中華人民共和国が国連の正式な常任理事国として認められた以上、次々と各国は中国との国交を求め、それと引き換えに中国は台湾との断交を求めます。常任理事国の拒否権を匂わせて圧力をかけて行きました。この流れの中で、日本は1972年に中国と国交を結び、その後アメリカも国交を結びます。その反対に台湾と断交することになる訳です。
領有権問題の決議ではない
重要な点は、このアルバニア決議において中国の代表政府がどちらかについては決まりましたが、台湾の領有権問題がここで決議された訳ではありません。これはアメリカ政府も正式に発表しています。中国はこの決議によって一つの中国の原則が確認されたと主張しています。
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