「古事記」を学校教育で取り上げることを「宗教教育の禁止」を謳った憲法に抵触すると誤解する日本
2023-10-24 カテゴリー:日本文化Photo by Yanajin33 (licensed under CC BY SA-3.0)
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古事記を教えない日本
古事記について義務教育で教えたらどうかと言えば、自称保守と言う人ですら猛然と反論に熱中してきたりするので驚く。反論の根拠を聞けば宗教教育の禁止が憲法に書かれているというのだ。そして中には神道が大東亜戦争に繋がったという自虐史観に少なからず毒されている人も多いようです。これらは宗教教育について全く理解が無い。
宗教教育の禁止
憲法上の宗教教育については既に法的見解が出ていて、特定の宗教を教育が推進することや、特定の宗教を排除したり否定すること。若しくはなんらかの宗教に帰依することを勧める教育であったり、なんらかの宗教に帰依すべきではないという教育という見解となっている。簡単に言えば宗教を布教、排除する教育がダメだという話なだけだ。
キリスト教はOK?
ミケランジェロの壁画を説明するときにキリスト教の話は出てこないだろうか。最後の晩餐を見た場合中央に居る人物は誰で、どのような経緯を描いた絵画なのか説明しないだろうか。我々は何故イスラム教の開祖がマホメットであり、仏教の開祖が仏陀であると知っているのか。つまり日本ではこのようなことを日本神道に限り教えてはならないと頑なに信じている。
天照大神を知らない日本人
日本人はゴルゴダの丘の話やアダムとイブの話は知っているが天照大神がどのような存在で、瓊瓊杵尊がどのような存在であるかを知らない。そして世界の1国単位で最も多い宗教施設と言われる神社は日本全国に8万社以上あると言われているが、これらについても説明してはならない。
戦後教育が生んだ宗教観
つまり日本の宗教教育の禁止についての解釈は、日本神道についてのみ触れてはならないというものです。もしくは自虐史観に毒され神道が戦争につながったかのようなオフレコ授業を行う日教組教師が存在し、君が代を謳わない正義を子供たちに見せつける。これが日本の宗教教育です。危険どころか日本神道ほど他宗教に寛容で平和的な宗教は他に無い。逆にGHQは日本人の家族的な国家観や信じられない統合の力を恐れその根幹の神道を排除しただけだ。
文化を教える為にその背景の説明は必要
日本神道の前提を排除して日本文化を教えることができるでしょうか。教えないから日本文化を深く学ぶことができない訳です。文化を学ぶ前提となる宗教的背景を説明することを禁止している法律はどこにもありません。