元寇は中国と高麗の連合軍の来襲。朝鮮出兵は中国を倒す為に行われた
2022-01-20 カテゴリー:日本Photo by anonymous (licensed under CC0 1.0)
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元寇は中国、高麗の連合軍
鎌倉時代に来襲した元寇とは中国の元と朝鮮半島の高麗軍による日本侵略であった。日本の教育では高麗軍のことを触れないものが多いのは不思議だ。
フビライ・カーンが日本侵攻の為に高麗を引き連れたという説や、高麗王がフビライを唆して日本を攻めようと促したという説もある。
日本遠征に失敗した元寇
2度の遠征(文永の役1274年・弘安の役1281年)は停泊していた元・高麗連合軍の船は神風と呼ばれる暴風雨によって沈没し失敗に終わった。
中国の拡大政策としては元の時代が最も顕著であり、西はウィグル、北はロシアも元の支配下に入っている。東方では海に浮かぶ島国の日本を手に入れようとしたのだ。
襲来の前に元は計6回も使節を送り服属を要求したが日本がこれを断ったために実力行使に及んだ。
中国の再来を予測した信長
その後日本は戦国時代となり、乱世の時代となった。織田信長という天才は戦いに長けていただけではなく、国際情勢に対しても敏感であった。
大陸から必ず再度日本への襲来があることを予測していた為、日本の統一を急いだことが当時の文献で明らかになっている。そして豊臣秀吉にそのことを伝えている。
必ず再び大陸から敵がやってくるだろう。織田信長は本能寺の変において自刃し後に明智光秀を討った秀吉に引き継がれることとなる。
MEMO
元は2度の遠征の失敗により国力を消耗し、次の明に国を奪われることになります。明は必ず体制を整えて日本にやってくると信長は考えていました。
元寇の経験から行われた朝鮮出兵
秀吉の朝鮮出兵は何を目指したかと言うと中国の明の討伐である。韓国は日本が攻めてきたと言うが朝鮮が目的ではない。日本軍は一気に朝鮮半島を通過た。
遼東半島に至る地域で明軍の総反撃を受け、戦局が膠着していたことや、あまりにも文化風習が違う広大な土地を統治する日本のメリットに懐疑的になっていたこと、その上に豊臣秀吉が死去したことなどがあり、日本軍が撤退をしたことで戦いは終わる。
秀吉軍が勝っていたら清ではなく日本時代
この時日本が明を陥落させていたら、中国史に日本時代というものが、隋や唐、元や清のような異民族国家時代として生まれていたことになる。
日本、朝鮮半島、中国との関係性はこの時代に明確になったと言える。
それは次の日清戦争で再び顕在化する。朝鮮半島とはこのような日本と中国の間として存在し、歴史上自律的な国家といえるものでは無かった。
POINT
歴史的に韓国は中国の属国としての存在でした。現在も自由主義国家として存在するものの、中国への依存心は変わりません。