日本の戦後復興は自力回復の奇跡。朝鮮戦争を境に製造業が息を吹き返した。
2021-12-01 カテゴリー:日本Photo by American official photographer (licensed under CC BY c00)
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日本は他国の経済支援無く復興した
日本の戦後復興は敗戦国として他国からの支援金などは無く、自力回復をするしかなかった。
人道的な支援としてアメリカのララ物資はサンフランシスコ在住の日系アメリカ人の浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体としている。
あくまでも難民救済の枠組みであり食料や衣料などの物資提供があった。
ABCD包囲網と空襲で製造業は壊滅的被害
1930年代後半から日本経済や貿易を封鎖するABCD包囲網が敷かれ、繊維生産が急下降しその他工業生産も戦争中盤以降に急低下している。
これは物資の枯渇と日本本土に対する空爆によるものだ。本土空襲は軍需工場その他生産拠点を中心に行われたため製造業は壊滅的な被害を受けた。
MEMO
ABCD包囲網とはA(アメリカ)、B(イギリス)、C(中国)、D(オランダ)の略です。
朝鮮戦争で物資輸入が解禁
戦後急激に回復を始め、1951年に勃発した朝鮮戦争の際に日本を拠点に米軍は戦争を戦い日本から物資を調達した。いわゆる日本にとっての特需が起き、朝鮮戦争は3年で終わるから特需も終わるが、その後も経済成長を続ける。
長期的な成長につながったのは朝鮮戦争までは、軍需製品製造などに使用される物資は日本は依然手に入れることができずにいたが、朝鮮戦争中にそれらが解禁され様々な工業開発が行われるようになったからだ。
三種の神器は夢の生活の象徴
1950年代後半には「三種の神器」と宣伝されたテレビ、洗濯機、冷蔵庫を純国産で販売し豊かさの象徴としてそれらを手に入れる為に国民は働いた。1964年に開かれた東京五輪を契機にさらに日本は経済発展を続けました。
POINT
朝鮮戦争の特需は資金と物資輸入の解禁により日本の製造業が息を吹き返したことがその後の経済成長に繋がりました。