戦後の食糧危機を按じた昭和天皇と食糧支援への感謝の意を伝えた訪米晩餐会でのご挨拶
2022-10-24 カテゴリー:日本Photo by Unknown author (licensed under CC0 1.0)
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自らの命を差し出した昭和天皇
昭和天皇はマッカーサーの執務室を訪れた際に、自分の命と引き換えに日本国民を助けてほしいと要請した。マッカーサーは後に、「目の前にいる男性が日本で最高の紳士であることを確信した」と書き記している。
皇室の御物と引き換えに食糧支援を要請
戦後日本で1945年の冬には深刻な食糧危機が訪れ、昭和天皇は文部大臣である松村謙三に、「皇室の御物の中には、国際的価値のあるものが相当あるとのことである。よって帝国博物館の館長に命じて調査させ、その目録を作成させたのがここにある。これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい。そのように取りはからうに。」と命じた。
実現した食糧支援
当惑した松村だったが、昭和天皇の強い意志に押されマッカーサーに目録を届けると、マッカーサーは驚き、「皇室の御物を取りあげて、その代償に食糧を提供するなどのことは面目にかけてもできない。」とし、目録を返却した後に米国からの食糧支援の策を講じると伝えた。
ホワイトハウスに招かれたエンペラー
1975年に昭和天皇は国賓としてフォード元大統領に招かれホワイトハウスに居た。日本の天皇の訪米について米国世論は殆ど興味が無く、報じられることが無かったが、昭和天皇は米国に対しては当然恨みを抱いているだろうというのは誰もが想像したことだった。ホワイトハウスでの晩餐会で天皇陛下は次のように挨拶をした。
「わたくしは多年、貴国訪問を念願しておりましたが、もしそのことがかなえられたときは、次のことを是非貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、わたくしが深く悲しみとするあの不幸な戦争の直後、貴国が我が国の再建のために温かい好意と援助の手を差し伸べられたことに対して、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました」と感謝の意を伝えた。
さらに、「先の戦争を知らない国民が両国とも過半数を超えようとしています。しかしたとえ今後、時代が変わろうとも、貴国民の寛大さと善意は日本国民の間に長く語り継がれるものと信じます。」としめくくると、会場は多くの拍手で沸き返った。
その後この話題は瞬く間に全米に伝えられ、6日間も連続で新聞の第一面で日本の天皇の訪米が報じられた。戦争終結から30年後の出来事である。