有色人種の国として唯一近代化(産業革命)に成功した国それは日本
2024-05-10 カテゴリー:日本Photo by Wilhelm Heine (licensed under CC0 1.0)
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有色人種として唯一近代化した日本
有色人種の中で産業革命による近代化に成功した国は日本だけとされています。それでは何故日本だけが成功することが出来たのでしょうか。
日本は200年間以上も鎖国をしており、開国によって近代化が始まったと大まかに学校では教わります。産業革命とは一体何でしょうか。産業革命とは、動力革命として考えられます。
ワットが改良した蒸気機関
イギリスのワットが蒸気期間を改良して、蒸気の力を回転運動に変える機械を作ります。これが当時画期的な発明でした。回転運動を様々な歯車に伝え、複雑な動きを様々な場所で実現することができるようになります。では、それまでの機械とはどうなっていたのでしょうか。それは人や、牛が軸を回したり、機織り機のように足で踏みながら回転運動を得るようなものでしたが、
これが蒸気の力、つまり火を燃やし続ければ、人の力の何倍もの出力を得ることができます。これによって何が実現されるかと言えば、製品の大量生産です。
手工業から機械による大量生産の時代へ
それまでは家内制手工業と言い、その字の通り人が手で物を作っていましたが、これからは機械が大量に同じものを作っていく時代に突入します。
これが産業革命です。大量に作られた商品は値段も安価になり、様々な階層に普及します。これら大量の物資を運ぶためのインフラも、蒸気を使った蒸気機関車が担いました。この時代から、圧倒的な火力を生むための石炭の需要が爆発的に増加します。
日本には高いレベルの金属加工技術が在った
さて、それでは何故日本は産業革命に成功したのでしょうか?日本はこれらの機械を見様見真似で作る技術が既にありました。それは江戸時代に徒弟制度の中、伝統工芸として技術が切磋琢磨され向上し、刀文化が長く続いたことから鉄の加工技術は世界の中でもトップクラスであり、これは今でも様々な世界特許を日本は金属加工分野で持っています。蒸気機関は人の力とは違い、圧倒的な動力を生み出す為、木製の機械では簡単に壊れてしまいます。つまり、様々な機械の細部の部品まで金属製で作成し、組み立てなければなりません。西洋の産業機械を見た日本人は、ああ、これなら作れそうだなと簡単に思ったのかもしれません。
江戸時代初期に既に時計を作成
日本人が手先が器用だという理由も上げられますが、当時の歯車を使った機械として、最も精密なものとして時計があります。日本では徳川家康の時代に既に和時計として作成されたと言われています。現在日本の時計は世界で最も正確で、壊れにくいというのが定評となっていますが、これらも昨日今日生まれてできる技術ではないということでしょう。
市民社会を作った明治維新
もう一つ産業革命に必要なものとして日本が達成したものが在ります。それは封建制度からの脱却です。西洋では市民革命が既に起こっており、産業革命はその100年余り後に始まりました。産業革命時には既に自由市民が活動しており、封建制度のように領主や土地に縛られた生活ではありませんでした。
つまり、産業機械を使って製品を大量生産する企業を、当時の富裕層が立ち上げる際にも、従業員を募集し、雇い入れることができます。
これがプロレタリアートであり、流動的な労働力というものが産業革命にとって必須となります。明治維新は正にこの封建的な江戸幕府の幕藩体制を破壊し、市民社会を作る革命でした。
社会改革と産業革命を同時に実行
そしてその中で産業革命を同時に行うという、世界で見たことも無いことを当時の日本人はやってのけたのです。それでは、その他の有色人種の国は、何故、近代化ができなかったかと考えると、この2つのポイントが無かったからということが言えます。一つは金属加工の技術。もう一つは市民社会の形成、つまり封建社会からの脱却です。
植民地下での近代化は難しい
そもそも東南アジア諸国その他、有色人種の国々は例外なく、西洋の植民地に15世紀後半からなって行きますので、18世紀後半に西洋で初めて起こった産業革命を、植民地下の国々が、出来るかと言えば無理があります。それでは例えば隣国の中国や朝鮮半島を見た場合どうでしょうか。
近代化できなかった中国と朝鮮
中国にも刀文化があり、鉄器を使う歴史は長くあります。しかし、封建制からの脱却をすることができませんでした。朝鮮半島はどうかと言えば、朝鮮には針や、車輪を作る技術が無く、それらは中国から輸入していました。これは何を意味するかと言えば、針は細かい金属加工の技術が無かったことを意味し、車輪は、木を曲げて輪にする方法が分からなかったということで、ものを運ぶには牛の背中か、人が担ぐ、頭に乗せるというものでした。つまりインフラの効率化は不可能であり、そもそも産業機械の中に在る歯車を作ったり、細かい金属加工ができるはずがありません。
朝鮮半島は致命的に要素が欠けていた
そして朝鮮半島で致命的なのは、身分制度がまさに中世以前の状態であり、奴婢が40%も存在する歪な社会となっていましたから、流動的な労働力などという話は未来のまた未来でした。そしてこの旧来の朝鮮社会を固く守るために、貴族階級である両班らは、近代化の為の諸改革を徹底的に排除するというありさまでしたので、朝鮮半島では産業革命に必要な2つの両方が、致命的に欠けていたと言えます。
僅か51年で世界の中心のテーブルに
明治維新を起こした日本は、その僅か27年後に、大国とされた清に勝利し、その10年後にはロシアに勝利します。その後第一次世界大戦を経て、日本は1919年には国際連盟の常任理事国として、世界の中心のテーブルの椅子に座っていました。これは明治維新から数えて僅か51年後のことになります。このようにして日本は唯一有色人種として近代化を成し遂げ、この波をアジアに広げようと考えました。
維新を中国で実現した孫文
孫文による辛亥革命は、まさに日本が支援して実現した者であり、中華民国を建国した孫文は、日本の明治維新は中国革命の原因であり、中国革命は実は維新の結果であると発言しています。孫文は日本亡命時代に孫中山を名乗り、日本の近代化を学んだ人物でした。朝鮮半島には金玉均という人物が居ましたが、朝鮮での革命は失敗に終わり、金玉均は日本に亡命します。しかしその後上海に渡航した際に、朝鮮から送られた刺客により暗殺されてしまいます。金玉均の死去から僅か4カ月後に日清戦争が始まり、結果朝鮮半島は独立を果たし、近代化に向けた改革が始まったことは皮肉と言えます。
アジア近代化のプロセスを覆い隠す歴史
結果的に中国は1912年に辛亥革命を起こすので、明治維新から44年後、日韓併合は1910明治維新から42年後に近代化のスタートを切ることになります。実際のところ、アジア諸国が、戦後結果的に独立を果たしていく中においては、いずれにせよ近代化というプロセスが必要となりますが、有色人種として唯一、日本だけが実現したということだけを見ても、アジアの近代化は日本の明治維新から派生したということは明らかであり、この点について、中国や朝鮮半島、そして日本も例外なく、近代化というテーマの中でこの重要なプロセスの認識が完全に抜け落ちているように見えますが、それは本当に歴史なのでしょうか。