ガザ地区に続けられる攻撃 - 民間人の定義とは何か|予告など無かった原爆投下
2023-12-12 カテゴリー:日本Photo by Tasnim News Agency (licensed under CC BY SA-4.0)
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ガザ地区に対する攻撃
ガザ地区での紛争やウクライナ侵攻について国際法上の戦犯の考え方があまりにも脆弱であることが分かるのだけど、民間人や民間施設、軍人、軍事施設についての定義について。これらの戦争が終わった後に国際社会は再定義する必要がある。
民間人の定義とは何か
米国憲法修正第二条では米国人は州兵の一員でありその憲法解釈によって銃の保有が認められている。彼らは民間人だろうか、兵士だろうか。徴兵制が敷かれている例えば韓国では徴兵期間が終了した者は予備兵として登録されている。彼らは民間人だろうか、兵士だろうか。
南京では兵士と民間人が混在
南京事件では国民党軍は司令官が逃亡し国民党軍は民服に着替え民家に逃げ込み民間人を盾に戦闘を行ったというが、彼らは民間人であろうか、兵士だろうか。彼らが立てこもった民家はその時点で軍事施設になっていないだろうか。それとも変わらず民家だろうか。
南京安全区を攻撃しなかった日本
東京裁判では日本軍は南京安全区に対する砲撃を行わなかったというのは、日本軍の侵攻を虐殺だと証言したラーベによるものだ。南京の民間人は国際法によって区画された南京安全区に逃げ込むことは可能であった。ガザ地区は南北に50km程度であり南部に避難するには最長で25km程であり1日で移動が可能だ。
人間の盾とは民間人か兵士か
人間の盾という盾とは民間人だろうか兵士だろうか。少なくとも彼らは自分の家を守ろうとして命をかけて残留しているのだろうか。彼らは民間人だろうか、兵士だろうか。
つまりこの程度に過去の日本を裁いた国際法とは脆弱であり、今でもその考え方に基づいて民間人の殺害を批難しては自衛権の発動による戦争を否定している訳ではない。その中でこの戦いを見ている。答えるべきなのは民間人と兵士の明確な区分だ。
事前予告など無かった原爆投下
東京大空襲は122回に及ぶとされるが、その度に米軍はこれから空襲を行うと日本の民間人に向けて通達しただろうか。それとも広島長崎に投下される原子爆弾が投下される前にこれだけの広範囲に被害が及ぶ異次元の爆弾が投下される。そこで生き残ることは困難であるという通達をトルーマンは行ったでしょうか。もし行われたならば当時の日本の民間人は避難しただろうか、それとも戦うために残ったでしょうか。
こんな国際法などは抑止効果に過ぎず、実際の戦争では全く意味を持たない。