北方領土で共同生活、日本人とロシア人の三年間 - 領土返還と現在の住民意識
2022-11-25 カテゴリー:日本Photo by Unknown author (licensed under CC0 1.0)
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終戦後に占領された北方領土
日本の領土問題は竹島、尖閣諸島、北方領土だ。この3つの地域は地政学的にも歴史的にも両国の関係においても、問題発生のプロセスにおいても全く違う。北方領土問題は簡潔に言えば、8月15日に日本は降伏を表明したが、文書上では9月2日、その後にソ連はポツダム宣言を追認するが、米英中ソ以外において国際的にはサンフランシスコ平和条約の発効の1952年4月28日となる。その間に旧ソ連軍は北方領土を侵攻し併合した。
日露住民の共同生活の3年間
ソ連から強制送還の命令が日本人の島民に伝えられたのが1948年だから、1945年から約3年間ソ連兵、ソ連移民と日本人との共同生活の期間が在った。その時代の日本人の島民の証言を聞くと非常に興味深い。
旧島民の日本人の証言
「ロシア人は体が大きくて怖かった。」「家に土足で銃を持って兵隊が来て、腕時計、腕時計」と言うからなにかと思い腕時計を渡したら、「ハラショー、ハラショー」と言って喜んで帰って行った。
ロシア人の子供は可愛くて可愛くて、天使のようだった。あんなに白くて目が大きく、猫のように緑色の瞳は可愛かった。お互いの家を行き来し、日露の子供たちが一緒に遊んでいた。これは旧島民、日本人の証言だ。
住民をどうするかも不透明な返還論
現在1万7千人ほどが暮らす北方領土の返還を求める日本国民に対して、現在住んでいるロシア人を追い出すのかという問題に問いかけた初めての総理大臣が安倍晋三元総理だったと思う。当時北方領土に住んでいた日本人は領土返還を求め続けたが、そこに住むロシア人は出ていけ、住居を奪えと訴えたことが無いのだ。