ウクライナ問題から見る台湾問題。ウクライナとロシアの歴史関係を見る
2022-02-01 カテゴリー:ヨーロッパPhoto by George Chernilevsky (licensed under CC0 1.0)
クリック応援よろしくお願いします。
ウクライナ問題から見る台湾問題。ウクライナとロシアの歴史関係を見る
ロシアがウクライナを手放さない理由
ロシアが歴史上の意味でウクライナを手放さないだろうと考えるのは、歴史上においてロシアの起源はキーウだからという理由は大きい。キーウは長い間ロシアの首都だった。
13世紀前半にキーウ大公国がモンゴル帝国に滅ぼされ(タタールの軛)実質上ロシアの主要都市は200年間中国の支配下となった。
モスクワ大公国による地域奪還以降は首都はモスクワとなり、後に1713年ピョートル大帝が中国経済圏、文化圏から脱する為サンクトペテルブルグに首都を移し、ロシアのヨーロッパ化政策が行われる。
ペテルはピョートルの語源であるイエスに仕えた使徒の名前だ。英語圏ではピーター、スラブ語圏ではピョートル、ドイツ語ではペーテル、フランス語ではピエールとなる。全てどこかで聞いた名前だろう。
1917年レーニンが革命を起こし首都は現在のモスクワとなった。
現在の構図で考えれば両国の歴史は別と言うが
私が世界史を習った時にはこんな感じだったが、ロシア帝国はウクライナの東半分を、ソ連時代はウクライナを包括していた。
ウクライナ独立後もロシアの起源はキーウとする考え方が主流だ。現在ウクライナは独立しているので、ロシアの起源はモスクワ大公国であり、ウクライナの起源はキーウ大公国だと説明をするものも多い。
いずれにしても同じエリアで起ったものであり、大差は無いだろう。
ロシアの歴史
- キーウ大公国 (9c-12c)
- ウラジーミル・スーズダリ大公国 (12c-14c)
- ノヴゴロド公国 (12c-15c)
- タタールの軛(モンゴル) (13c-15c)
- モスクワ大公国 (1340-1547)
- ロシア・ツァーリ国 (1547-1721)
- ロシア帝国 (1721-1917)
- ソビエト連邦 (1917-1991)
台湾を化外の地としてた清朝
この問題は台湾問題と共通する点が多い。少なくとも習近平は台湾は歴史上中国であることや、同一民族であることを主張している。
唯一違う点は中国は台湾を「化外の地」と呼び交流をしてこなかった。
1871年宮古島島民遭難事件が発生し台湾人による日本人漁民の殺害事件が起き、57名が死亡した件について清朝に抗議した際、台湾の化外の民がやったことだから清朝に責任は無いと答えている。
ウクライナと同じ構図で考えるならば西安市を中心とする文化圏がNATOに入るようなものを考えたら同等となる。いずれにせよ、今回の動きは中国の主張を国際的に正当化する前例となるだろう。
POINT
ウクライナ問題、台湾問題は長い年月を掛けた歴史、民俗、領土、安全保障など多くの問題が共通しています。