「国防の定義」とは何か - 憲法改正以前に曖昧であり続ける日本の国防意識
2022-10-31 カテゴリー:軍事Photo by Master Sgt. Adrian Cadiz (licensed under CC0 1.0)
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元防衛大臣の国防の定義
日本の国防を考えた時に、守るべき日本とは何を指すのかについての定義が必要になる。このことについて国民に共通認識はあるだろうか。そもそも共有される為の政府としての見解は先ず必要だ。石破元防衛大臣は、国防とは、領土・領海という空間的なエリアと、そこに住む国民の生命、財産。そして国家主権を守ることだと説明した。国家主権とは司法・立法・行政権など国家を運営する為の仕組みのことだ。
元統合幕僚長の定義
河野元統合幕僚長は国防について、守られるべき「国」とは領土領海、国民、主権の他に、言語、歴史、文化などあらゆるものを含むと発言している。歴史、文化については国家主権の元に守られているとすれば、内包されるという考えもできるが、より明確で具体的な表現だろう。
国防の概念すらない降伏和平論
橋下氏が、ウクライナは降伏した方が良いと発言した件について大炎上したが、人命を最優先に考えたのだろうか、国防という概念はそこには全く無かった。これに対し、ウクライナ人が国を守る為に戦うと言っているのに、第三国の日本人がそれを止めろという権利はどこにも無いという意見や、降伏したら虐殺されるなどの反論が多かったが、国防とは何かという議論には至らなかった。
降伏後に何が起こり得るかを考える
ウクライナがロシアになった場合、ウクライナの法律は守られない。主権が奪われるからだ。そうするとウクライナの言語や文化は守られるだろうか。全く分からない。仮に日本が中国に侵略され、中国になった場合、何万とある神社仏閣が破壊されるとしても、抵抗することができない。日本語を廃止し中国語を公用語にするとされても抵抗することができない。日本の歴史は自由に書き換えられ、皇室も廃止になる可能性が高い。
降伏とはその国の全てを捧げること
人命を最優先にした結果、日本であることの全てを侵略者に捧げることになる。逆に国防とは日本であることの全てを守ることだと定義するべきだろう。その意味で河野元統合幕僚長の見解こそが共有される国防意識であるように思う。「島の一つくらいあげてもいいじゃないか」というような愚か日本人が出てくるのはこのように国を守るという認識そのものが曖昧であるから、もしくは国を守るという主体的意識が無いからだろう。このような発言をする人間が国会議員をやっているのだ。