露館播遷により高宗はロシア公使館へ逃げ込んだ - 主権を放棄したのに日本に奪われたと言う
2021-11-15 カテゴリー:李氏朝鮮
Photo by Percival Lowell (licensed under CC0 1.0)
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露館播遷は朝鮮王朝が主権を放棄した事件だ。日清戦争後、下関条約により朝鮮が独立国家となった僅か1年後のことになる。李範晋・李学均などによる春生門事件が発生。高宗を奪いクーデターを試みたが内通により失敗した。
これに米露公使館が関与してたことが後に発覚するが、宮女が「日本が国王を廃位しようとしているので甚だ危険なり」との書状を高宗に届けた。
そして高宗はロシア公使館へ逃げ込み、事実上の軟禁状態となる。公使館からの遠隔統治のようなことをしており、大院君派の粛清などを指示している。その他執政を行ったというが実際はその期間にロシア、アメリカなどは朝鮮半島内の利権を次々と手に入れて行った。
MEMO
朝鮮王朝は国家元首が国から逃げだすという失態を繰り広げ、既に国際的に承認されない状態でした。
この時点で朝鮮王朝は主権国家では無くなったと国際社会では認知されている。
その後、第一次日露議定書(小村・ウェーバー協定)、第二次日露議定書(山縣・ロバノフ協定)が結ばれ、その前提において高宗は慶運宮に戻り国号を大韓帝国と改めた。帝国の名を国号に付けることは、日本や中国と同格という意味を含むが、日本はこれを承認している。
これは日露戦争の前夜の事件であり、ロシアが朝鮮半島利権を手に入れる動きが加速された。そして桂・タフト協定は日露戦争後についてアメリカとの交通整理を行ったものとなる。
ハーグ密使事件は高宗が大韓帝国の外交権を主張する為に密使を送り、会議場にすら入ることが許されず国際的に否定された事件となる。
ハーグ密使事件は告げ口外交 - 密使はなぜ無視された?主権を放棄した朝鮮を世界が認めていなかった証拠ハーグ密使事件とは、日露戦争後の1907年に日本が剥奪した朝鮮半島の外交権の回復を訴えるため高宗がハーグに密使を派遣した事件だ。現在行われている告げ口外交と同じことを当時もやっていたのだ。
POINT
日韓併合により、大韓帝国を日本が強権的に併合したように韓国は言いますが、その前に国家としての体をなしていませんでした。
記憶に新しいのはアフガニスタンだ。アシュラフ・ガニーは大統領として国外へ逃亡亡命した訳だが、どこの国がその後アシュラフ・ガニー大統領政府を正当な政府として認めただろうか。
その瞬間タリバンがアフガニスタンを制圧した。
朝鮮半島の場合、高宗が再び執政を行うことが許され、日本の保護下の元に大韓帝国を建国したことになる。そしてやはり国としての体を成さず、日韓併合に向かうのである。