閔妃暗殺の犯人は誰?韓国の主張は全く違う。日本人で処罰された者は一人もいない。
2022-01-17 カテゴリー:李氏朝鮮クリック応援よろしくお願いします。
閔妃の夫の高宗は暗殺の犯人を知っていた
高宗は1906年、長谷川好道を謁見した際に『私の部下の中に犯人が居た』と述べており、また、ロシア公使館から閔妃暗殺事件の容疑で特赦になった趙羲淵、禹範善、李斗璜、李軫鎬、李範来、権濚鎮の6名ついて、『王妃を殺害した張本人である』として処刑を勅命で命じている。
息子の純宗は暗殺の犯人を目撃
殺害現場にいた純宗は、禹範善が『国母の仇』であることを目撃したと報告しており、また禹範善自身も自らが閔妃を殺害したと自白している。
禹範善は、純宗が放ったとされる刺客、高永根と魯允明によって広島県呉市において1903年(明治36年)11月24日暗殺される。
地位をはく奪し平民として処理
朝鮮では閔妃暗殺の2日後(10月10日)、閔妃の死亡が一般に公表される前に大院君が閔妃の王后の地位を剥奪し、平民に落とす詔勅が公布される。なおこの時、閔妃の死亡はまだ公表されていない。
つまり、国内的には平民が死亡したということになっている。
朝鮮政府は朝鮮国内で行った裁判で興宣大院君の首謀とする判決を出した。
MEMO
事件は大院君が首謀した暗殺事件として処理されました。そして閔妃は平民として死亡を公表されます。
韓国の無根拠の歴史認識
韓国人が信じている、日本人が閔妃暗殺を行ったという内容が『王妃をひきだして、2~3ヵ所に切り傷を負わせ、かつ、裸体にして笑いながら、また怒りながら、王妃の局部を念入りに検査し、最後に油を注いで閔妃を殺害した』という話になっている。
ちなみにその根拠となる資料の提示はいつもの通り無い。慰安婦の物語や、軍艦島の物語と同じで、扇情的な物語に作り変えて、相手が衝撃を受けている間に根拠の無い話に摩り替えて結論とする。
夫である高宗の部下が、息子である純宗や、多くの人間の前でこのようなことをしたと言いたいのだろうか?
多くの女官の中で唯一殺害された閔妃
閔妃暗殺時、宮中には100人ほどの女官、女中がおり、閔妃1人だけが殺害されている。閔妃の顔を知っているものが居たということだ。誰一人とも間違えずに閔妃を暗殺しているのだ。
閔妃と接見できる人間は限られる。しかも暗殺を終えて犯人たちは直ぐに逃亡している。局部に油を注いでいる場合では無い。
数少ない閔妃の顔を知る人間
ちなみに、現在閔妃とされる写真は閔妃ではないとする学説では、1910年までの日本や欧州の資料では、『正装の韓国の夫人』『宮中の侍女』『女官』として紹介されているもので、この写真を閔妃だと言い出したのは第二次世界大戦以降だとしている。その様に閔妃の顔を知っている者は少なかったということでもある。
ハーグ密使事件は告げ口外交 - 密使はなぜ無視された?主権を放棄した朝鮮を世界が認めていなかった証拠ハーグ密使事件とは、日露戦争後の1907年に日本が剥奪した朝鮮半島の外交権の回復を訴えるため高宗がハーグに密使を派遣した事件だ。現在行われている告げ口外交と同じことを当時もやっていたのだ。
閔妃暗殺の真実は韓国の主張とは全く違う。日本人で処罰された者は一人もいない。
POINT
日本の外交官の三浦公使ら関係者48人は日本で裁判を受け証拠不十分で釈放、軍法会議に付された将校8人も全員無罪放免されています。