朝鮮半島は近代化に必要な技術が何もなかった。半数が奴婢だった国。
2021-12-07 カテゴリー:李氏朝鮮
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1805年儒学者の鄭東愈は朝鮮半島には無かったものとして、羊、車輪、針と言っている。車輪は木を変形して加工する技術。針は金属の精密加工を表す言葉でもある。李氏朝鮮時代、手工業は全く発展せず伝承もされず中世以前の状態でした。
1894年から1897年まで3年間で4度朝鮮半島を旅したイザベラバードは、「ソウルへの道は牛がすれ違うことができないできないほど細く、迷路のようだった」とし、「識別可能な程度の通路に過ぎない」と書いた。
横二輪の車両がなかったことがここからも分かる。木を曲げる技術が無いのだから樽も無かった。
朝鮮半島の一輪車の写真から見る日韓併合前の朝鮮半島の技術力と知識当時朝鮮半島では車輪を作る技術が無く、中国から輸入していた。車輪は高価なものである為、両班(朝鮮半島の貴族階級)と言えど車輪1つで移動していた。
MEMO
韓国は日本が収奪した収奪したと言いますが、収奪するものは何もありませんでした。
産業革命は工業用機械を製作し蒸気機関の動力を活用し、大量に商品を製造する。そして製品の販売には流通が必要だ。 原材料や商品を運搬する車、元々道がなければならない。作業工程の伝達や、記録する為に文字の読み書きができなければならない。李氏朝鮮では両班以外80%が、文字が読めなかったとされている。
貨幣経済がなければ何の取引もできない。そして国民の半数が奴婢である。流動的な労働力が無ければ誰が新しい工場で働けるだろうか。奴婢は主人に奴属し、土地に縛り付けられていた。つまり労働者階級というものが無かった。
当時、朝鮮半島には産業革命や近代化のために必要な全てのものがなかった。日本は日韓併合期に朝鮮半島に産業機械、車、道路、学校教育、貨幣経済、身分制度の撤廃などを導入した。それにより大量生産、広域流通、貨幣と商品の交換経済、流動的な労働力を生み出した。それが朝鮮半島の産業革命と近代化となる。
現在の韓国は全て韓国人が作り、日本統治時代は全てを奪われた暗黒の時代だと教育されている。歴史認識が違うどころか全く逆なのである。
POINT
車輪を作れずにどうやって工業用の機械を作ることができるでしょう。当時の産業機械は蒸気機関の動力を大きな歯車が伝えるものでした。