終戦の日は8月15日ですか?9月2日ですか?ポツダム宣言受託の通知と調印の違いとは?北方領土と沖縄戦
2024-08-14 カテゴリー:大東亜戦争クリック応援よろしくお願いします。
終戦の日が違う各国
日本の終戦とはいつでしょうか。日本では当然、1945年の8月15日であることは疑うことの無い終戦の日となっています。正確に言えば、昭和天皇より玉音放送が発せられ、ポツダム宣言の受託と、終戦が宣言されました。正確にはポツダム宣言受託を通知したのは8月14日となっています。それでは何故各国で終戦の日が違っているのでしょうか。欧米の終戦の日は9月2日となっています。これはミズーリ号にて、日本が降伏文書に調印した日となっています。
玉音放送で告げられた終戦
玉音放送で昭和天皇は次のように発せられています。「私は、日本国政府に、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4国に対して、それらによる共同宣言を受諾することを通告させた。」と発せられています。共同宣言とはポツダム宣言です。それでは、受託の通告と、受託の署名がどのように違っているかを考えてみると、北方領土問題も少し違った見解が見えてきます。これは日本人にとってセンシティブな話題なので、公開されている事実を時系列にお話ししますので、結論は皆さんのご意見で様々あるかと思います。
9月2日降伏文書調印
さて、先ず、ミズーリ号で調印された降伏文書の抜粋を現代語訳でご紹介します。
「我々は、日本国天皇、日本政府、日本国大本営の命令により、またそれらの代理として、1945年7月26日にポツダムで、米国、中国、英国の政府首脳により発せられ、その後ソビエト社会主義共和国連邦により遵守された宣言に定められた条項を受諾する。我々は、ここに日本国大本営およびあらゆる日本国軍およびあらゆる場所に所在する日本軍の統制下にある、あらゆる軍隊の連合国に対する無条件降伏を宣言する。~~
我々は、あらゆる場所に所在するすべての日本国軍および日本国民に対し、直ちに敵対行為を停止し、あらゆる船舶、航空機、軍用および民間の財産を保護し、損害から保護し、連合国最高司令官または彼の指示による日本政府機関により課されるあらゆる要求に従うよう命じる。
我々はここに、日本帝国政府および日本大本営に対し、現在日本軍の支配下にあるすべての連合国捕虜および民間人抑留者を直ちに解放し、彼らの保護、世話、維持、および指示された場所への即時移送を行うよう命令する。
天皇および日本政府の国家統治権は連合国最高司令官の管轄下にあり、連合国最高司令官は降伏条件の履行に適切とみなす措置を取るものとする。 1945年9月2日午前9時4分、日本の東京湾で署名。」
このように、日本と、連合国との合意は、この降伏文書調印によって日本の無条件降伏が決定され、これを終戦の日と考えているのが欧米側となります。日本は、ポツダム宣言受託を通知したことをもって、日本の降伏と考えていると言えます。
8月14日ポツダム宣言受託の通知
次にご紹介するのは、8月14日にポツダム宣言受託について各国大使に対して通告した内容です。
「日本政府は、4か国政府に次のとおり通知する栄誉を有する。
1.天皇陛下は、日本がポツダム宣言の条項を受諾することに関する勅語を発布された。
2.天皇陛下は、ポツダム宣言の条項を履行するために必要な条件に、日本政府及び大本営が署名することを認可し、確保する用意がある。陛下はまた、日本国の陸、海、空軍当局およびそれらの管轄下にあるあらゆる部隊に対し、活動を停止し、武器を降伏させ、および連合国軍最高司令官が上記条件の履行のために要求するその他の命令を発令するよう、命令する用意がある。」
連合国軍からの返信
次に、連合国軍側からの回答をご紹介します。
「貴官は次のように進めよ。
1、日本軍による戦闘の即時停止を指示し、停止の発効日時を連合国最高司令官に通知せよ。
2、連合国最高司令官に直ちに使者を派遣し、日本軍と司令官の配置に関する情報を伝え、指示されたあらゆる取り決めを行う権限を完全に与えよ。連合国最高司令官は、彼と彼の随伴する部隊が、彼が指定する場所に到着して正式降伏文書を受領できるようにする。
3、この降伏文書を受領し、これを実施するために、ダグラス・マッカーサー陸軍元帥が連合国最高司令官に指名され、彼は日本国政府に正式降伏の時期、場所、その他の詳細を通知する。」
日本からの要望
次は、日本からのスイスを仲介国とした、通達の抜粋です。
降伏における条件のような捉え方がされるときがありますが、内容は要望書のような形になっています。
「日本政府は、4か国が日本政府の誠意に依拠して、不必要な混乱を未然に防ぐために、日本政府による義務の履行を容易にすることを心から希望する。
(a) 連合国の艦隊または軍隊が日本本土に進入する場合には、受入れの手配ができるよう、日本政府に事前に通知すること。
(b) 連合国が占領のために指定する日本領土内の地点の数は最小限に制限し、地点の選択は東京のような都市が占領されないような方法で行い、各地点に駐留する軍隊は可能な限り少なくすること。
2、 日本軍の武装解除は、海外にいる300万人以上の将兵を巻き込み、彼らの名誉に直接関わる非常に微妙な仕事であるため、日本政府は当然最大限の努力を払うであろう。しかし、最善かつ最も効果的な方法は、天皇陛下の命令により、日本軍が自ら武装解除し、自発的に武器を放棄できるようにすることであると提案する。
大陸における日本軍の武装解除は、最前線から始めて段階的に実施する。
武装解除に関しては、ハーグ条約第35条が適用され、兵士の名誉が尊重され、例えば刀の携帯が認められることを期待する。さらに、連合国は武装解除された日本兵を強制労働に雇用する意図がないことを日本政府に理解させる。兵士を祖国に避難させるために必要な輸送手段が速やかに提供されることを心から希望する。
3、一部の部隊は遠隔地に駐留しており、天皇の命令を伝えることが難しいため、戦闘停止までに相当の時間を与えられることが望ましい。
4、 連合国が速やかに必要な措置を講じ、あるいは遠隔地の日本軍に不可欠な食糧や医薬品を輸送し、それらの島から負傷兵を輸送するための便宜を我々に提供してくれることを期待する。」
このように見ると、日本はポツダム宣言受託を宣言した上で、無条件降伏についてはその用意があるという通達を行っていたということで、
その方法については交渉があったということが、これらのやり取りから見えてくるものがあります。この辺が、通達と調印の違いとして日本と各国が違うのでしょうか。
北方領土の侵略
もっと現実的に見てみた場合、北方領土のソ連侵攻があります。これはソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄したもので、日本の終戦の日以降に侵攻した者だから不法占拠だというのが日本の立場ですが、ソ連側はまだ戦争中であり、実際に千島列島での日本軍の抵抗は続き、結果的には9月2日の降伏文書調印以降も続き、9月5日に千島列島、北方4島を支配下に置いた段階で戦闘が停止されます。
この一連の、ソ連の行動を日本は不法行為であるとしています。
もう一つの侵略
さて、実はもう一つ深刻な侵略行為があるのをご存じでしょうか。それは沖縄です。
沖縄戦は北方領土以上に過酷な戦闘が行われ多大な被害者を生んだことは日本人は皆知っていますが、この戦闘が終わったのは、ソ連の侵攻が止まったヒの2日後の、9月7日となっています。実はミズーリ号での調印からも戦闘が続いたということですね。これについて日本で不法行為だという話をする人が居ないのは何故でしょうか。そして、沖縄はアメリカの占領統治下に入ります。これについても不法占拠というあつかいではありません。日本が無条件降伏を行ったのは連合国軍に対してであり、連合国司令部の占領下になることは受託したものの、沖縄はアメリカ一国の領土となった訳です。皆さんは不思議だとは思いませんか?
これらの8月14日のポツダム宣言受託の通知から始まり、最終的に沖縄で戦闘が終わる9月7日まで、実質的には戦争が局地的に継続されたということになっています。端的に言えば、ソ連は8月15日以降に北方領土を手に入れ、アメリカも又、沖縄を8月15日以降に手に入れていると言うことになります。
このように考えた場合、1972年に沖縄は返還されますが、国が領土を返還することは世界の歴史の中でも異例の決断だと言われていますが、アメリカとしては統治コストよりもアメリカ軍が沖縄に駐留できれば利益があったのか、政治的な妥結ということで、佐藤栄作総理とニクソン大統領との間で決定されました。
逆にこの時交渉が妥結しなかった場合は、今でも沖縄はアメリカ領土であった可能性は高いでしょう。このような流れを総合的に見てみると、終戦の日は8月15日であることは日本にとっては間違えが無いのですが、欧米にとっては9月2日であるという理屈も、全く根拠が無いことでもないことになります。
国交回復
日ソ共同宣言は1956年に発せられ、国交が回復されました。その宣言の中には、北方領土の内、歯舞諸島、色丹島を日本国に引き渡すことに同意すると書かれています。
安倍元総理はこれらの経緯を勘案して、2島返還交渉に方針変更を行い、プーチン大統領と交渉することとしました。プーチン大統領は2000年の訪日の際に、56年宣言は有効であると発言していました。しかし2020年には領土の割譲を禁止する条項を盛り込んだ憲法改正を行っています。