ロシアのアジア植民地計画はシベリア鉄道を見れば明らか
2021-10-04 カテゴリー:日韓併合Photo by William Henry Jackson (licensed under CC0 1.0)
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ロシアの植民地計画はシベリア鉄道に始まる
ロシアの進出を背景にしなければ何も見えてきません。陸路からのアジア植民地計画です。
1850年シベリア鉄道計画がスタート。
1884年露朝修好通商条約・・日清戦争開戦の翌日にロシアと朝鮮が条約締結。
1885年露朝密約事件・・日本、清、イギリスをけん制する目的で結ぼうとした密約。第一回は李鴻章、第二回は袁世凱に発覚し失敗。
1888年露朝陸路通商条約・・ロシア人を朝鮮半島100里までビザ無しで入国できるようにした。
1890年シベリア鉄道がウラル川を超える橋が完成。
1896年ロシアは清から、満州の北部を横断し、ハルビンなどを経由する東清鉄道の敷設権を取得(露清密約)。
1897年ウラジオストクからハバロフスクまでの鉄道、ウスリー線が完成
1898年旅順・大連租借・・中国の旅順・大連をロシアが租借。遼東半島がロシアに渡る。
1900年馬山浦租借・・慶尚南道馬山浦(現在の昌原市)をロシアが租借。
1900年満州・朝鮮半島交換論・・満州の利権を日本がロシアに認めると同時に朝鮮半島からロシアが手を引くという交渉(ロシアは黙殺)
1900年北清事変・・義和団の乱を平定する目的としてロシアが満州に進軍、平定後も退去せずに居座る。
1902年・・日英同盟締結
1903年龍岩浦事件・・ロシア軍が鴨緑江河口(現在の北朝鮮)の龍岩浦に軍事拠点を建築
1903年露清密約による東清鉄道完成。
1904年バルチック艦隊がウラジオストクへ向けて出港。
1904年バイカル湖開通によりシベリア鉄道全線が開通。
1905年日本海海戦でバルチック艦隊が壊滅し、終戦。ポーツマス条約締結
1905年日本が朝鮮半島の外交権をはく奪、保護国化
1907年ハーグ密使事件
1909年伊藤博文暗殺
1910年日韓併合