朝鮮半島に根付いた奴婢制度。日本統治下に初めて身分制度が撤廃された
2022-01-17 カテゴリー:日韓併合Photo by Unknown author (licensed under CC0 1.0)
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奴婢制度は農耕文化と関連が深い。中国ではチンリン山脈、ホワイ川を結ぶ線の南側が年間降雨量が1000mm以上。 北が1000mm未満で、南側が稲作文化、北側が畑作文化だ。
畑作は単純に効率性が悪い為、奴婢の需要が多かった。 そのため北側では奴婢を多く使用した。犯罪を犯した人間を奴婢にしたり、借金の代わりに奴婢に変えて量産した。
日本は中国南部から稲作が伝来した為、稲作文化になり、朝鮮半島には中国北部から畑作が伝えられた。畑作の労働力として奴婢は財産として売買された。
奴婢5人に牛1頭で売買された。南朝鮮半島では稲作が行われていたが直播栽培で、田植えをするようになったのは李氏朝鮮末期からである。
15~17世紀には朝鮮時代の人口の30~40%が奴婢だった。1609年の蔚山の戸籍資料によると、47%が奴婢だった。1606年、慶尚南道山清は64%が奴婢だった。奴婢の規模は韓国地域では50%規模だった。
国際的に人種差別を撤廃しようとした試みは1919年に日本の代表団が国際連盟のパリ会議にて行った提案が初めてとなる。
これはアメリカの猛反発により可決されなかった。国際的人種差別撤廃は1969年に発行された『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』が最初となる。
日本の奴婢制度は律令制の崩壊を経て10世紀初め、平安時代中期に奴婢廃止令が出された。しかし現実的には人身売買は根絶されず、江戸幕府は1612年、1619年、1683年にしばしば禁止令を下し、厳しく取り締まった。
中国では清の最後の皇帝である愛新覚羅溥儀により、法的に奴隷制が廃止された。
アメリカの奴隷解放宣言は1863年に発布されたが、合衆国として人種差別を違法としたのは1964年のジム・クロウ法の撤廃を待つことになる。
朝鮮半島では1894年の甲午改革で奴婢、白丁制度が法的に廃止されたが、甲申政変の失敗で実情は変わらなかった。
日本に亡命し日本型近代化を目指し上海で暗殺された金玉均は朝鮮社会の封建的身分制度こそ不平等の根源であり、国家の腐敗、衰退の主な原因だと主張した。
日韓併合と戸籍制度の導入により戸籍への身分記載を廃止した。人間と見なされなかった苗字を待たない奴婢に苗字を与えた。これにより、子供たちは学校へ通うことができるようになった。
身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを行ったが、身分を問わず教育機会を与えなければならないという日本政府によって直ちに鎮圧された。
POINT
世界で最も早く人種差別撤廃を訴えたのは日本でした。そして奴隷制度は10世紀初めに無くなっています。