安重根の息子 安俊生と伊藤博文の息子 伊藤文吉は博文寺で和解
2020-05-21 カテゴリー:日韓併合クリック応援よろしくお願いします。
和解に訪れた安重根の息子安俊生
今はもう存在しない韓国の博文寺に1939年10月15日、ある人物が供養に訪れた。安重根の息子の安俊生だ。上海からの朝鮮半島人満船視察団に参加して訪問したのだった。
供養は11時から始まり、伊藤博文の肖像画の横には安重根の位牌も置かれていた。安俊生は父親の安重根と伊藤博文を供養し、読経した駒田は安重根の位牌を彼に手渡し、二人の霊を永遠に追悼するよう諭した。
その後、安俊生は取材のために訪れた記者に、「幼い年で父親を亡くし、30年間祭祀を怠った。今伊藤公の冥福を祈ると同時に、父の位牌を受けられたことを嬉しく思う。」と話した。16日、安俊生は京城朝鮮ホテルに向かう。それはある人と会うためだった。
朝鮮ホテルでの和解
その相手とは伊藤文吉。伊藤博文の息子である。伊藤文吉に対して謝罪をしたいという安俊生の申し出に対し伊藤文吉は、「私たちの父は既に神となって仏となって空に帰って行った。今何を謝る必要があるだろうか。それよりも、国のために誠意を尽くそう。」と答えた。
そして翌日の17日、伊藤文吉と安俊生は博文寺を訪れ、お互いの父に対しての交換供養を行った。
POINT
伊藤博文を暗殺して安重根の息子と伊藤博文の息子の伊藤文吉は1939年に既に和解をしています。文吉は共に国の為に誠意を尽くそうと伝えました。
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