キューバ危機から見るウクライナ危機 キューバは守られたがウクライナは孤立した
2022-03-20 カテゴリー:ウクライナケネディとフルシチョフ Photo by The Central Intelligence Agency (licensed under CC0 1.0)
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旧ソ連はキューバに核兵器を配備
1959年カストロによるキューバ革命が成功し、キューバは社会主義の道を歩むことを決め、社会主義陣営に加わることとなり、アメリカ資本は追放された。
これを受けて1961年にアイゼンハウアー大統領はキューバとの国交断絶を行った。次の大統領のケネディ氏は、米国に亡命していたキューバ人を編成しキューバに侵攻させ、カストロ革命政府の転覆を謀ったが失敗した。
それに対抗してカストロは反米姿勢を強めソ連に近づき、ソ連のフルシチョフは核戦力の配備によって対米優位に立つ為、キューバに核ミサイルを配備した。
核戦争の一歩手前まで行った世界
1962年10月、アメリカ空軍の偵察機によりソ連のミサイル基地が建設進行中であることが判明した。
射程距離はアメリカ全土を覆うもので、核兵器によるアメリカ本土攻撃を容易にするものだった。22日夜ケネディ大統領はテレビ演説を行い、ソ連からの武器弾薬、核兵器製造に使われる物資などが搬入されることを防ぐため、キューバ周囲の海域と空域を封鎖することを宣言した。
ソ連はすでに物資や武器を積み込んだ艦船をキューバに向かわせている途中であった。アメリカによる海上封鎖を突破すれば直接衝突となり、核戦争の危機が迫る正に一触即発の状態に陥った。
両国首脳は水面下での交渉を重ね、フルシチョフは、アメリカがキューバに侵攻しないことと引き替えにミサイル基地を撤去するとの提案をケネディに伝え、10月27日に合意が成立して核戦争の危機は回避された。
似ている点と異なる点
ウクライナ危機とキューバ危機は何が違うだろうか。
米露の立場が逆であることだ。
社会主義国家建設を目指しソ連に近づいたカストロと、民主主義国家としてNATOに近づいたゼレンスキー。これも立場が逆である。
そして訪れた危機も同じなのだが何故だろうか。最も違う点は戦争回避のためにケネディとフルシチョフが対話を行い、ギリギリの線で回避されたことだ。アメリカは今回は当事者では無いという立場を取っている。
POINT
キューバ危機は米露の対話によって戦争の危機が回避されました。ウクライナ問題では米国は交渉する気は無く、ウクライナだけが取り残されました。