日韓首脳会談で現れた小渕優子議員※韓国は言ったことを忘れるなという楔
2023-03-20 カテゴリー:韓国クリック応援よろしくお願いします。
決まったことが無い首脳会談
岸田首相と尹錫悦大統領の会談と夕食会が行われ、共同声明の無い記者会見が行われた。
決まったことと言えば、今後のシャトル外交再開という点と、戦略3品目の規制解除ということだろうか。実際には外務省管轄の案件と、経済産業省管轄の案件であるが、首脳同士が集まって確認をしたというのが実際の内容となっている。
規制解除後も実質変わらず
戦略物質の規制解除については実質的には日本からの流通は大きく変わらず、2019年の規制時も、輸出量を減らす、止めるという規制では無い為、実際は何も変わらないだろう。
北朝鮮問題は当然の軌道
とりわけ尹錫悦大統領は北朝鮮問題を上げて韓国が日本に協力的な姿勢を見せていたが、これも当然の軌道に戻ったということを確認したに留まっている。日米安保、米韓安保によって北朝鮮問題は対処されているのだから当然の話でしょう。
少なくとも、これまでのような、日本が一方的に何かをしてくれる外交関係ではなくて、韓国が日本に対して一体何ができるかということが今後のシャトル外交では問われるべきだろう。
それが健全な外交関係だからだ。これまで韓国が日本にしてしてくれたことは、具体的に全くと言っていいほど思い浮かばない。これまでのようにテーブルの上では談笑し、テーブルの下で札束を欲しがる外交関係を誰も求めていないだろう。
おもむろに座っていた小渕議員
次に日の、日本のマスコミでは菅次期日韓議連会長と尹錫悦大統領との会談ということがクローズアップされていたが、注目したいのは一番端に写りこんでいる女性である。
小渕優子議員、小渕恵三元総理大臣の娘だ。何故彼女がこの席にいるのかと思ったのは、政府関係の役職についていなかった記憶からだ。
なるほどと思ったのは、1998年の日韓共同宣言だ。尹錫悦大統領は日韓共同宣言へ、日韓関係は戻るべきだという主張であるが、問題はどのようにして戻るかだ。そして日本は日韓共同宣言を全て遵守している。戻るのは韓国側だけの問題だろう。
1998年日韓共同宣言のポイントは次の通りです。
- 2002年FIFAワールドカップの開催
- 日韓経済協力の推進
- 韓国内での日本文化の開放
- 新国連海洋法条約に則った竹島周辺の漁業協定
- 北朝鮮問題への対応
日韓ワールドカップ開催も、韓流コンテンツの流入もこの共同宣言から始まっているものです。
日韓共同宣言は金大中大統領が結んだものだが、日韓ワールドカップはFIFA史上最悪の大会と言われ、反日運動なのかサッカーの大会なのかよくわからないものとなった。
破壊された日韓共同宣言
そしてこの共同宣言は2年も経たないうちに韓国国会でこの宣言を無効化する決議が行われている。その後再び竹島周辺には韓国漁船が溢れ、現在の竹島の状態となったことを日本人は忘れてはいけない。
これを結んだ日本側の代表者が小渕恵三元首相である。韓国は1965年協定だけではなく、1988年協定も綺麗さっぱり破り捨てているのです。
言ったことを忘れるな
小渕優子議員はその象徴的なアイコンとして、この会談の場に呼ばれたのでしょうか。つまり日韓共同宣言に戻ることが会談の目標であるという楔を打ったということでしょう。自分で言ったことを忘れないようにということだ。実際韓国側はこの意味が分かっているのだろうか。分かっていないように思う。
結論を言えば日韓共同宣言に戻るというのはとてもハードルが高い。この共同宣言が破棄されたのは竹島の問題があるからだ。おそらく韓国側は、文化交流の再開程度にしかこの宣言を理解していないのかもしれない。
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